関東大震災から100年/河竹家と震災

今年で大正12年の震災から100年。
「私の叔父は関東大震災で亡くなりました」と人に言うと驚かれます。登志夫の兄の信雄が1歳で隅田川に流されて亡くなり、その話はよく聞きましたので、娘たちにとっては、わりと他人事ではない出来事でした。東京大空襲も遠い歴史上の出来事になっているいま、それよりもずっと前のことですから、本当に大昔の大惨事だと認識されている気がします。6割の人が大震災のことを知らないというアンケートのニュースがありました。

この時期になると、この日の記録映像がテレビで流れますので、そこに繁俊やみつがいないかとつい探します。昨日も両国橋から本所の方向が映った映像を見ましたが、最初はみんなゆったり構えていたと言われているとおり、これからこの一帯が火の海になり大勢の人が亡くなるとは思えない雰囲気です。この日河竹家や、このあたりの人たちに降りかかった受難は、3年前にここで詳しく書きました。

その時の記事のリンクです。


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信雄を失ったみつは、亡くなるまでそのことを繰り返し話していました。それも、つい昨日のことのように。一歳で亡くなった信雄ですが、その後も繁俊、みつ、そして弟の登志夫、その妻良子や子供たちがずっとその死を悼み、心にありますので、まだ生きているともいえるかもしれません。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)