河竹家と震災⑥「作者の家」より/みつと子供たち②
みつと子供二人、子守は、背後からの炎熱に苛まれますが、親切な印半纏を着た男が、子供をおぶってきた着物に水をたっぷり浸し、頭からかけ続けてくれていました。みつは途中、数えで二歳の信雄に乳をやろうと、胸をはだけます。
「半月早く生まれた信雄は未熟児のうえ、生まれてからも肺炎だ何だと病気つづきで、一年たっても歩けないかわいそうな子であった。もうこのときは空腹と激動のため、ぐったりしてしまっていた。
乳をのませはじめたとき、ゴーッという音とともに、すさまじい熱風が背後から襲ってきた。烈風に煽られた火が、とうとうすぐうしろの荷物の山を焼きはじめたのだった。」
印半纏の男は、もういけねえ、先に行くぜ、と川へ飛び込んでしまいます。一瞬炎に包まれ、みつは本能的に、信雄とともに川に入っていました。二足目を踏み出したらそこは深く、みつは水中に没してしまいます。
「しまったと思ったがおそい、水中でハッと息をとめ、眼を開いた。水は意外なほどすき透っていて、美しい緑色であった。
だが次の瞬間、抱いていた信雄がすうーッと腕のなかから抜けて、浮きあがるのを感じた。水のなかで必死でつかもうともがいたが、間に合わなかった。胸から放れて浮きあがった信雄の小さな身体は、のけぞったみつの鼻先から頭上を越えて、あっという間に後ろのほうへ消えていった。
小名木川から大川へと、信雄は死体となって流れていったにちがいない。二歳年上の私の兄は、こうして物ごころもつかないまま、母の胸から死の国へと旅立ったのである。」
みつは大川の杭に流されます。隣の杭には、長女が親切なおかみさんによって杭にしばりつけてもらって、さらに、手に負った火傷に包帯まで巻いてもらい、助かっていました。子守との再会はついにできませんでした。
「杭という杭には人がつかまり、その人にまた次から次へとつかまって、数珠つなぎの人の列が水中にいくつもできていた。」
長女を抱いて、左腕だけで杭につかまっていたみつは、気が遠くなり、気が付くと見知らぬ男の襟首をつかんでいました。この男に励まされながら、みつはついに、築地の水上警察の手漕ぎボートに子供と一緒に乗せてもらうことができました。このあと、勢いを増した火のため、舟は近づけなくなり、このボートが最後の救助船となったといいます。
写真は、信雄を抱いたみつと、長女寿美子と、繁俊。おそらく、みつの実家かどこかにあったものです。みつも、もともと40キロもない細身で、信雄を生んだ後、産褥熱で四か月寝たきりで震災時には十分回復していませんでした。
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