河竹繁俊 年譜

略年譜:『牛歩七十年』(昭和35年刊)掲載の自身作成の略年譜より。年齢はかぞえ年。

明治22(1889)年/1歳

6月9日、長野県下伊那郡(現飯田市)山本村に、市村保三郎三男として生まる。父四十一歳、母三十三歳。

明治28年/7歳

4月、山本村竹佐尋常小学校に入学。

明治32年/11歳

4月、小学校四年を終え、山本尋常高等小学校に入学。

明治35年/14歳

4月、高等小学校三年を終了して、県立飯田中学校に入学。

明治40年/19歳

3月、飯田中学を卒業。上京、一ツ橋高等商業学校の入試に失敗し、9月より早稲田大学英文科予科に入学。

明治42年/21歳

5月から開設された、文芸協会付属演劇研究所に入る。

明治43年/22歳

12月の「演劇画報」にはじめて岡野馬也名義にて戯曲「渡辺崋山」を発表。(トルストイの「闇の力」に感激して英訳より重訳し、翌々年の「早稲田文学」に連載。)

明治44年/23歳

5月帝劇に開催された文芸協会の第1回(卒業)公演の「ハムレット」に、廷臣ボルチモンドに扮して出場。7月大阪角座にても同様。7月、早大英文科並びに演劇研究所を卒業。7月末から、島村抱月訳松井須磨子主演の「人形の家」の演出助手をつとむ。8月から早稲田文学社に入る。ガルスワージーの「銀の箱」を訳して「早稲田文学」に掲載。坪内逍遙博士のすすめで河竹黙阿弥家に入り、11月23日浅草万梅にて挙式披露、本所南双葉町での生活はじまる。

大正元年/24歳

島村抱月の依嘱により、イプセンの「幽霊」及び「海の夫人」をアーチャーの英訳より重訳。

大正2年/25歳

文芸協会は解散し、芸術座・舞台協会・無名会と分派、自分は書斎の人となる。

○11月、早大出版部よりバーナード・ショーの「カンディダ」訳刊。

大正3年/26歳

1月よりほとんど門外不出にて、黙阿弥伝の整理執筆に没頭。9月に入り脱稿。

○12月、川上邦基の演芸珍書刊行会より「河竹黙阿弥」の初版刊。

大正5年/28歳

○6月春陽堂より「黙阿弥物語」第1巻刊。

大正6年/29歳

4月23日、田中佐次兵衛三女みつ(21歳)と結婚。11月1日の猛台風にて床上浸水。

○1月春陽堂より「河竹黙阿弥」の改版刊。8月より早大出版部より刊行の「近世実録全書」20巻の編集開設を、坪内逍遙監修のもとに、三田村鳶魚を顧問として毎月1巻ずつ刊。

大正7年/30歳

11月15日長女寿美子生まる。8月号の「早稲田文学」に戯曲「歌舞伎伝助」を発表。

大正8年/31歳

3月、十三世守田勘彌・林和の文芸座旗揚げ興行に際し、自作「歌舞伎伝助」をと言われたを辞退し、近松の「女殺油地獄」を脚色上演。

○2月「黙阿弥物語」第2巻を、9月に第3巻を刊。

◎春陽堂より「黙阿弥脚本集」を企画し、12月第1巻を刊行し、大正12年1月までに全25巻を刊了。

大正9年/32歳

4月より帝劇の嘱託となり文芸部に勤務、技芸学校にも関与し、後主事となる。帝劇11月興行のために三幕の時代劇「勤王遺文」を河竹新水名義にて書下ろし、梅幸・幸四郎・宗十郎・勘彌・松助らにて上演。

大正11年/34歳

長男信雄生まる。2月の帝劇女優劇に「女殺油地獄」を再脚色し、勘彌・松助・初瀬浪子らにて上演。

大正12年/35歳

4月早大講師として文学部にてイプセン研究を講ずる。4月23日父保三郎没(74歳)。9月1日の関東大震災にて遭難、長男女中ら水死。年末に、当時の東京市外中渋谷宇田川850番地に転住。

大正13年/36歳

11月24日養母いと没(74歳)。12月7日二男俊雄(登志夫)生まる。2月以来原達平の主宰せる「幼年の友」、森下雨村の主宰せる「新青年」に読物を寄稿して生計の資とする。

◎7月から春陽堂より「黙阿弥全集」の刊行をはじめ、毎月1巻ずつ全27巻(首巻とも28巻)を刊行。

大正14年/37歳

4月、渋谷区松濤町56番地に新居をいとなみ転住。

〇7月、春陽堂より「世話狂言傑作集」「時代狂言傑作集」数冊ずつ刊。

昭和元年/38歳

8月13日初放送「芝居の怪談」。「逍遙選集」の編集に参画。

昭和2年/39歳

6月以来、早大坪内逍遙記念演劇博物館設立の計画成り、先輩の勧説により設立事務を主宰。

昭和3年/40歳

7月演劇博物館副館長兼主事。10月27日当初の予定通り、開館式を挙ぐ。

昭和4年/41歳

4月から早大文学部講師となり、日本演劇史を講ず。

昭和5年/42歳

NHK家庭大学講座にて日本演劇史を週1回30分間ずつ三十回連続して完結。

昭和7年/44歳

8月家族一同にて信州に帰省し、帰途に大平峠・木曽峠をドライブして名古屋に出て帰京。お茶の水の専攻科、実践女学校専攻部等にて講話。

◎岩波文学講座に「黙阿弥研究」を寄稿。

昭和8年/45歳

3月G・B・ショー演博に寄館。4月坪内博士の「新修シェークスピヤ全集」刊行につき中央公論社との間に斡旋。9月文部省主催の話術講習会に出講。

昭和9年/46歳

10月4日実母没(77歳)。5月長野県飯田中学校にて、郡下教育者大会において「国劇の種々相」を講話。休憩なしにて三時間十五分、これは予の公演時間のレコード。7月小林一三・坪内士行両氏と面談し、東宝劇団顧問となる。10月演劇博物館館長。

昭和10年/47歳

2月28日坪内博士没(77歳)。NHKにて散切狂言の研究を数回放送。8月二男の健康のため長野県飯田風越館に二週間滞在。

〇8月、講談社より「評釈歌舞伎名作集」上巻を刊。

〇9月、岡倉書房より「黙阿弥襍記」刊。

〇9月、国際文化振興会より英文パンフレット「日本の舞台芸術小史」刊。

昭和11年/48歳

1月、大阪朝日新聞社主催にて「坪内博士を偲ぶ展覧会並に講演会」に出向。3月NHKにて坪内博士訳「オセロー」を猿之助・中車・東山千栄子らにて放送、その脚色と解説。11月、前進座の河原崎長十郎・しづえ結婚につき、下村海南氏とともに媒酌人となる。

〇1月花柳家元の私家版「初代花柳寿輔」伝を稿下。

〇10月講談社より「評釈歌舞伎名作集」下巻を刊。

〇11月国際文化振興会刊の英文パンフレットのスペイン語訳成る。

昭和12年/49歳

2月、早大文学部教授。4月NHKより坪内博士の「役の行者」の放送につき、その脚色と解説。7月日華事変勃発。中村吉蔵を会長とする早稲田演劇協会にて国立劇場建設の議を衆議院に建議し、超党派満場一致にて成立。

〇6月非凡閣より現代語訳「近松名作集」上巻を刊。

昭和13年/50歳

〇5月非凡閣より現代語訳「近松名作集」下巻を刊。

〇12月河出書房より「近代劇文学」刊。

昭和14年/51歳

6月、世田谷成城の新居に転住。日本文化中央連盟の二千六百年奉祝演劇委員。日本文化協会の演劇賞選考委員。文部省の演劇・映画・音楽等改善委員。

○5月冨山房より「坪内逍遥」刊。

昭和15年/52歳

2月、宝塚歌劇脚本の係争事件につき東京区裁判所より脚本鑑定を委嘱さる。10月、東宝移動劇団の顧問。11月、皇居前広場に催された紀元二千六百年奉祝式典に、長兄・次兄と共に参列。

〇7月、東京堂より「歌舞伎作者の研究」刊。

〇10月、創元社より改訂版「河竹黙阿弥」刊。

昭和16年/53歳

前進座の三月興行より「元禄忠臣蔵」の演出に巌谷真一氏と共にあたる。文部省の諸学振興委員会委員。歌舞伎検討委員会委員。情報局の演劇審査委員。NHK演芸委員。

昭和17年/54歳

10月次兄と日光に一泊旅行。NHK話術講習会の講師、同放送劇団の講師。大東亜芸能文化協会理事長。

〇4月、東京堂より「日本の演劇」刊。

〇6月、至文堂より青少年文学全集の一篇として「菅原伝授手習鑑」刊。

昭和18年/55歳

4月、長女利光一郎に嫁す。9月二男登志夫東大物理学科に入学。芸能学会の発会にあたり常任委員。12月22日、歌舞伎座にて開演中の「勧進帳」(幸四郎・羽左衛門・菊五郎ら)の記録映画化実現。

〇10月、東京堂より「歌舞伎史の研究」刊。同研究により10月17日付にて文学博士の学位を受く。

昭和19年/56歳

1月明治座上演の「加賀見山」(十二世仁左衞門・時蔵・寿海ら)を監修。3月より朝日新聞社の劇評を担当。(芸能学会の委嘱により秦野・清瀬・千葉県市城の陸軍病院に慰問講話。)文学報国会劇文学部会幹事長。冨山房・東京堂・北光書房等の編集顧問。(6月華族会館にて貴衆両院議員に公開の映画「勧進帳」につき講話。)10月㈶法人国劇向上会会長。演出者許可証を受く。

〇9月、豊国社より「歌舞伎十八番 研究と作品」を刊。

昭和20年/57歳

1月より10月まで朝日新聞に劇評を。1月、学術研究会議会員。3月大東亜戦五原則の作品化にたいする委員会委員。鶴見の二本鋼管、赤羽の軍需工場等にて講話。演博の諸資料、家族等を南信に疎開。8月15日終戦。

昭和21年/58歳

1月、秩父人形を見学。文部省国語審議会委員。4月若松若太夫の説教節のため熊谷市に行く。都民劇場運営委員。8月文部省主催芸術委員。4月より早大文学部内に演劇科(芸術科)を設置することとなり、中心となって立案出講。

〇10月光文社より「歌舞伎襍記」刊。

昭和22年/59歳

3月、豊竹山城少掾の掾号授与いつき御殿場なる秩父宮殿下邸へ同行。7月、都民大学にて十回講話。7月、学術体制刷新委員会に加わる。9月、片山哲主唱の国立劇場建設の議に加わる。

〇4月、雄山閣より「新劇運動の黎明期」刊。

〇12月、大河内書店より「歌舞伎講話」刊。

〇芸能文化研究所より「今日の演劇」刊。

昭和23年/60歳

2月、熱海の逍遙記念祭にて「役の行者」を朗読。9月、文部省の大学設置委員会委員。11月早大校友会のため大阪にて講話、奈良にて正倉院展を見る。12月、長野県に行き、中箕輪公民館にて人形劇見学、飯田女学校にて講話。

〇2月、大河内書店より「黙阿弥と南北」刊。

〇7月、地平社より「鶴屋南北集」刊。

〇12月、早川書房より「歌舞伎演出の研究」刊。

昭和24年/61歳

1月、日本学術会議会員、第一部会幹事となる。2月21日坪内博士夫人没(85歳)。7月早大理事。(7月「勧進帳」映画公開につき、大谷竹次郎社長と共に大船に赴き解説を録音。6月、日本演劇学会創立され会長に選ばる。9月、郵政省文化切手選考委員。11月茅ヶ崎の團十郎祭に臨席。)12月2日、吉村姓を河竹と改姓。

〇12月、童話春秋社より「松王・梅王・桜丸」を。

〇三省堂より「演劇」を刊。

昭和25年/62歳

2月、熱海双柿舎を早大に寄付することとなり、運営に任ずる。双柿舎の常任委員。4月、日本大学芸術学部の講師。(6月、日本学術会議の講演会のため茨城県の日立・水戸に行く。11月、東京劇場上演の「吉野川」(吉右衛門・勘三郎ら)を監修。12月、文化財専門審議会委員となり、等四分科会長並に芸能部会長。

〇8月、童話春秋社より「国性爺物語」刊。

昭和26年/63歳

8月下旬、大分県に娘・孫を山妻と共に送り行き、帰途京阪を見物。4月、早大大学院文学研究科委員長。5月、東京文楽会長。

〇9月、教文社より「近松の劇文学解明」(愛と死の芸術)刊。

〇10月創元文庫の中に「日本演劇通史」「歌舞伎講話」刊。

〇12月河出書房の市民文庫に「歌舞伎・文楽史話」を刊。

昭和27年/64歳

早大出版部取締役。3月NHK音のライブラリー委員。歌舞伎座の子供歌舞伎教室に出講、以後毎月一回60回まで連続したが、病気のため中断。5月、三田村鳶魚を甲州下部に見舞う。東京都文化財委員、議長、芸能部会長。10月早大創立70周年記念祭に実行委員長。11月NHKテレビに初出演。

〇9月、創元社より「黙阿弥名作選」刊。

昭和28年/65歳

NHK番組審議会委員、放送文化賞審査委員。東京新聞社舞踊賞審査委員。4月8日、市村与市没(74歳)。NHK「光を掲げた人々」に、大隈重信・坪内逍遙・市川團十郎等を創作演出。武蔵野大学にて講話。

〇6月、東京堂より「藝能辞典」刊。

昭和29年/66歳

2月、演博二十五周年を記念して、伊原宇三郎画伯による肖像画を贈らる。4月、共立女子大学文芸学部講師。11月歌舞伎座「珠取物語」の監修。

〇12月アルス日本児童文庫の中に「演劇の話」刊。

昭和30年/67歳

7月、山妻日本医科大学に入院して人間ドック。11月8日、皇居内園遊会に招かれ、山妻同行。(9月市川猿之助の一座中国行につき、同行を求められたが辞退。)12月歌舞伎座の「菅原」の筆法伝授・道明寺・寺子屋(幸四郎ら)上演にて監修。

〇3月、弘文堂より「黙阿弥」刊。

〇9月、冨山房より「中村吉右衛門」刊。

〇10月、修道社より「歌舞伎読本」刊。

〇鱒書房より刊行の「現代訳実録全書」の監修者となる。

昭和31年/68歳

(1月、松竹の学士歌舞伎俳優の審査員。2月、NHKにてシェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」を脚色演出。)3月、菊池寛賞を受く。5月、東京都より社会教育功労者として表彰さる。梅蘭芳一行来演につき種々斡旋。11月、紫綬褒章を受く。文化財保護委員会の国立劇場設立準備協議会の委員、副会長。

〇5月、修道社より「歌舞伎名優伝」刊。

〇8月、岩波文庫中に「東海道四谷怪談」刊。

〇9月、朝日新聞社より「日本演劇図鑑」刊。

〇12月、弘文堂より日本少年少女古典名作物語」に「曽我兄弟」刊。

昭和32年/69歳

1月、歌舞伎座にて「桐一葉」監修。4月、東横ホールにて「稲妻草紙」監修。日本義太夫協会の名誉会長。(4月、外務省の文化外交懇談会に出席。8月、富山県下五か所にて講話。8月、登志夫渡米、ハーヴァード大学に行く。)11月、文化勲章選考委員に加わる。毎日新聞社より学術奨励金四十万円を受く。(11月4日、皇居内園遊会に山妻と同行。)12月4日、高血圧性発作第一回、静養に入る。

昭和33年/70歳

2月9日、第五回目の発作あり、8月まで静養を余儀なくさる。3月、NHKより放送文化賞を受く。花柳寿輔一行ブラッセル博覧会に出演につき斡旋。(11月11日、登志夫アメリカよりヨーロッパをまわり、一か年半ぶりに帰国。)

〇1月、岩波文庫に「与話情浮名横櫛」刊。弘文堂より「忠臣蔵物語」刊。

〇2月、三十書房より少年物の「私たちの劇名作選」刊。

〇角川書店より「浄瑠璃・歌舞伎」に歌舞伎の項を刊。

〇5月、弘文館より「近松門左衛門」刊。

昭和34年/71歳

(3月、NHKテレビ演博紹介につき一時間出演。)3月、NHK中央番組審議会委員。(9月、歌舞伎座にて「孤城落月」(歌右衛門ら)を監修。)11月、前進座中国行につき同行を求められたが辞退。国立劇場準備協議会にてしばしば座長をつとむ。10月、早大より「日本演劇全史」にたいし大隈学術記念賞を受く。

〇4月、青蛙房より「歌舞伎百題」刊。

〇5月、新樹社より「人間坪内逍遙」刊。

※以上、「ずいひつ牛歩七十年」掲載、本人作成の略歴より。

以下、「日本演劇研究所目解題」(繁俊喜寿を祝った出版物)などより。

昭和35年/72歳

3月末日にて教授並に演劇博物館長を退任。1月18日小野記念講堂にて最終講義。2月12日の日本学士院の総会にて、「日本演劇全史」にたいし学士院賞授与と決定。定年退職並に学士院賞受賞を記念して、辱知有志各位より胸像を贈らる。3月28日長野県飯田市の名誉市民に推さる。5月、早大名誉教授。

〇3月、平凡社より小生監修の「演劇百科大事典」第一巻刊。

〇4月、新樹社より「ずいひつ牛歩七十年」刊。

昭和36年/73歳

東京都文化会館委員。武蔵野美術大学の教授。

〇2月、アルプス叢書より「歌舞伎の名優」刊。

○10月、吉川弘文館より「人物叢書 河竹黙阿弥」刊。

昭和37年/74歳

演劇百科大事典完成。5月より「日本戯曲史」にかかる。この秋、芸術院会員になることきまる。

昭和38年/75歳

1月23日午前1時半吐血、胃潰瘍、入院手術、4月10日退院。11月28日長兄の郷土史家市村咸人歿。毎日新聞に”演劇十話”、朝日新聞に”よもやま”連載。

昭和39年/76歳

6月25日文化財保護委員会委員。「概説日本演劇史」にとりかかる。

〇2月、平凡社より「総合日本戯曲事典」刊、南雲堂桜楓社より「日本戯曲史」刊。

〇11月、新樹社より「日本演劇文化史話」刊、東都書房より「日本演劇とともに」刊。

昭和40年/77歳

「逍遙・抱月・須磨子の悲劇」にとりかかる。

昭和41年/78歳

ひきつづき国立劇場設立準備に腐心。5月17日脳出血様の発作にて絶対安静、後幾度か小康を得るも次第に衰弱。黙阿弥の書簡・日記・報条(ひきふだ)などの整理に当たる。12月、勲三等瑞宝章を受く。

〇5月、山田書房より「歌舞伎名舞台」、毎日新聞社より「逍遙・抱月・須磨子の悲劇」刊。

〇6月、岩波書店より「概説日本演劇史」刊。

○10月、新東京出版より「歌舞伎名舞台」刊。

〇12月、演劇出版社より「黙阿弥の手紙・日記・報条など」刊。

昭和42年/79歳

夏頃より衰弱いよいよ甚だしくなる。11月10日文化功労者に指定され伝達を受く。11月15日午前7時30分昏睡状態のまま永眠。演英院(えんおういん)釈智俊居士となる。没後従四位を追贈さる。19日青山葬儀場にて葬儀告別式。21日初七日にあたり菩提寺の東中野源通寺に埋骨。

平成20年、10月早稲田大学演劇博物館名誉館長の称号を追贈。

○昭和44年11月東京堂より「芸道名言辞典」刊。

○昭和63年2月冨山房より「坪内逍遥」復刊。

※附/妻みつは明治30年(1897)、父田中佐次兵衛、母照の三女として、日本橋両替町に生れる。大正4年(1915)府立第一高とう女を卒業。大正6年(1917)21歳で繁俊と結婚。長男信雄(関東大震災で没)、長女寿美子(利光に嫁す)、次男俊雄(ペンネーム登志夫)を育てる。(みつの生家や黙阿弥家との関係は登志夫著「作者の家」に詳しい。)繁俊没後、登志夫の家族と神奈川県逗子市に移住。昭和56年(1981)、家で転倒、左大腿骨頸部骨折。高齢の為手術ができず、車椅子生活になる。昭和59年(1984)11月28日、脳梗塞のため没。87歳。法名・寂光院釋廉正大姉。12月18日、三七法要にあたり源通寺に埋骨。

大正2年11月「カンディダ」
大正5年「河竹黙阿弥」
大正8年「黙阿弥物語」
大正13年〜「黙阿弥全集全28巻」

昭和10年「黙阿弥襍記」岡倉書房

昭和11年「歌舞伎名作集」(上下)大日本雄弁会講談社

昭和13年「近松名作集」非凡閣

昭和13年「近代劇文学」河出書房

昭和15年「歌舞伎作者の研究」
昭和17年「日本の演劇」
昭和18年「歌舞伎史の研究」

昭和21年「歌舞伎襍記」光文社

昭和22年12月「歌舞伎講話」大河内書店

昭和22年「新劇運動の黎明期」雄山閣

昭和23年「黙阿弥と南北」

昭和23年「歌舞伎演出の研究」早川書房

昭和23年「鶴屋南北集」地平社

昭和24年「演劇」三省堂

昭和24年「歌舞伎叢攷」中央公論社

昭和24年「諸国の人形芝居」講談社

昭和26年「愛と死の芸術」

昭和27年「近代劇文学」河出書房

昭和27年「歌舞伎十八番集」朝日新聞社

昭和28年「藝能辞典」

昭和28年「黙阿弥名作選」創元社

昭和30年「演劇」三省堂

昭和30年「中村吉右衛門」富山房

昭和30年「歌舞伎読本」修道社

昭和31年「歌舞伎名優伝」
昭和33年「忠臣蔵物語」

昭和33年「歌舞伎事典」実業之日本社

昭和34年「人間坪内逍遥」新樹社

昭和34年「歌舞伎百題」青蛙房

昭和34年「日本演劇全史」岩波書店

昭和35年4月「牛歩七十年」新樹社

昭和36年「仮名手本忠臣蔵」硯学書房

昭和39年「日本戯曲史」
昭和39年「日本演劇とともに」

昭和39年「日本演劇文化史話」新樹社

昭和41年「概説日本演劇史」

昭和41年5月「新劇秘話 逍遙・抱月・須磨子の悲劇」

昭和41年7月「日本演劇研究書目解題」平凡社

昭和41年10月「歌舞伎名舞台」
昭和41年「黙阿弥の手紙・日記・報条など」

昭和41年「七世市川團蔵」(序文)求龍堂

昭和44年「芸道名言辞典」東京堂出版

昭和46年「浄瑠璃・歌舞伎」角川書店

昭和49年10月「人物叢書 河竹黙阿弥」吉川弘文館(1961年初版)

昭和52年「忠臣蔵物語」岩崎書店

昭和63年「坪内逍遥」
平成13年「日本演劇全史」韓国語訳

平成14年「日本演劇史概論」(韓国語)文化芸術出版社

平成19年「与話情浮名横櫛」岩波書店(1958年初版)
平成28年2月「実録先代萩」岩波書店
平成29年5月「東海道四谷怪談」岩波書店(1956年初版)
令和1年9月「歌舞伎十八番集」講談社