河竹家と震災①井上ひさしさんの解説より
大正12年9月1日に起きた関東大震災から今年で97年。黙阿弥が亡くなってから30年目の出来事でした。この震災によって、河竹家のほとんどすべてのものが焼失しました。
その時、黙阿弥が晩年を過ごした本所の家には家を継いだ長女糸と、養嗣子の繁俊夫婦とその子たちと暮らしていました。この人々がそれぞれに体験した悲惨な数日間については、登志夫著の「作者の家」はじめ、いろいろな機会に書き記されており、「作者の家」のクライマックスにもなっています。こちらは、この本の文庫版に、井上ひさし氏が寄せてくださった解説です。
このなかで、井上氏は、震災の件について、
「さて、全巻の中で最も圧倒されるのは、関東大震災における河竹家の人々の逃避行の顛末である。河竹家の人々がどう避難したか、それは当然、東京下町の住人がどう避難したかにかさなるが、読者は、ちょっとした親切を互いに与え合うことがどれだけ多くの人命を救うかを、この一章から読み取って、いやでも感動することになるだろう。震災のあとで繁俊は次のように書いた。
《……今度の震災によって、歌舞伎劇は第一にその住まうべき劇場を失い、第二にその観客を追い散らされ、第三に歌舞伎劇を構成するところの諸種の材料と、史的、伝統的参考品を、多数に失われてしまったのである。今度の災害によって、ざっと日本の富の八分の一とかを失ったのだと言うが、歌舞伎劇に至っては、全部の七八割までを失ったと言ってもよかろうと思う。…… 》
こうして作者の『家』の滅亡も、また早められた。」
「作者の家」の、震災に関する記述は、登志夫の母みつの詳細な記憶と、繁俊が自ら書いている文章が下敷きになっています。「作者の家」や、繁俊の「震災の記」など、河竹家と震災のことについて、ふたりの著書からピックアップしたいと思います。
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