登志夫が小学生時代に受けた戦時教育②帝国艦船etc…。

昭和7年発行の東京朝日新聞 新年付録「東日本新風景」。
新聞にも付録があったのですね。64ページもある写真満載の冊子です。開くと、まだこんなかわいい西洋人の子供の宣伝写真が載っています。
「二重橋 新年の拝賀式を終えて宮中より退出する文武百官」と説明されています。文官と武官の見分けがつきませんが、この写真では武官が多いように思われます。
戦前の歌舞伎座の写真もあります。第三期歌舞伎座は破風が三つあり、歴代で一番豪華な外観でしたが、東京大空襲で燃え落ちました。
上の写真は大洗海岸で、本社機より撮影とあります。特段戦意高揚のための写真というのは見当たりません。

これは登志夫の幼少期のいろいろです。
1番手前に「神風号」と書かれた鉛筆があります。神風号は朝日新聞航空部が航空写真撮影のため軍から借り受けた試作品で、民間機でした。昭和12年4月、イギリス皇帝ジョージ6世の戴冠式の奉祝のため、東京ロンドン間15357キロメートルを、航空時間94時間17分56秒という日本初の航空世界新記録を打ち立てました。鉛筆に航空路線と記録が書かれています。東京を飛び立ってから、日本中が固唾を呑んで応援していて、ロンドンに着いた日は有楽町も銀座も喜びの人で溢れ、子供にとっても誇らしく明るいニュースだったのでしょう。この鉛筆は三菱鉛筆が、宣伝方々製造して学校で配ったものです。とても大切にしていて、折に触れ話題にしていました。
戦争末期の神風特攻隊の神風ではありません。

こちらは「軍隊教育漫画 営内生活全集(32枚1組)」。

絵が面白いのと、兵隊さんがみんな若くて仲良しで、兵隊生活が結構楽しそうに描かれているので、子供たちはこんなところかなぁ、と思ったでしょうね。
上官の命令は絶対で、連帯責任で全員がビンタや暴力を受け、手紙の検閲、お国のための命、そして人を殺すための銃、そういう事は全て描かれていません。

こちらは「読本参考図鑑 少女倶楽部4月号付録」。姉から貰い受けたのでしょう。


「帝国艦船大観 32枚1組 最新式2色版」。船名一覧表付き。

少年倶楽部付録の絵はがき「われ等の大艦隊」(46枚組)。

おもちゃの軍艦は、ボール紙や大工さんの木屑で自分でよく作っていました。下は頂き物や、小学1年生の時の金属製の文鎮。うれしい、母からの留守番のお土産でした。

登志夫の絵。
4年生の日記に「平川君が遊びに来たので海戦をしたが、ものすごい大戦となった」、次の日「平川君が来て、また続いて堂野前君が来たので一緒に海戦をしたら、僕は1せきも無くなってしまった」とあります。上の軍艦のカードを使って何かゲームをしたのでしょうか。
テレビのない時代の小学生にとって、自動車、飛行機、船、山、花、相撲、野球その他ありとあらゆる事物はこういう媒体を通して初めて見るもので、集めたり覚えたり、戦艦も戦闘機もその中の1つだったと思います。雑誌や新聞を「教育」というかはわかりませんが、こうして自然に、当然のように、お国のために戦う事をすり込まれているのを感じます。


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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)