切抜帳22より①/早大選択定年ほか
「銀座百点」1990年2月号。前年末の恒例句会。うしろから4番目の点数だったのでしょう。
俳句を読んで、すてきな情景が目に浮かんだとしても、なにか新しさや発見のようなものがないと印象に残らず点数につながりませんから、登志夫も毎年末ずいぶん考えたことでしょう。
同年2月24日毎日新聞。「今年3月で定年退職される先生方」という欄。こんな欄、今も毎日新聞にはあるのでしょうか。学生へ贈る言葉がありますが、ツケは自分に返ってくる…、今読んでも耳が痛い……。出席をとらず、講義を本当に聞きたい学生を相手にしゃべる。カッコいい先生だったと思います。
同年3月19日読売新聞。逗子の家の庭で撮影しています。1月に早大での最終講義を終えてすっきりした時期の取材。今後の展望を語っています。この時まだ65歳。若かった。
早稲田学報に選択定年で退職することについて。「早大とともに四十二年」。
セイコきもの文化財団の5周年に、祝辞。2ページ目には、それまで登志夫が講演をした写真も掲載されています。
同年6月、放送文化基金賞プログラムに審査委員長として総評。
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