逍遙の見た、黙阿弥の本読

「本読」を得意とする作者はもちろん黙阿弥以前にもたくさんいて、愛好者の前で、鳴り物入りで会を催すこともあったそうです。黙阿弥も、親しかったお大尽、津藤香以の希望でそのような会をしたことがありましたが、鳴り物入りではなかったということです。

さて、繁俊の「歌舞伎講和」から、坪内逍遙が実際にみた黙阿弥の本読の感想の引用です。

「老人(黙阿弥)の本読上手ということは、予て噂に聞いてもいたし、ちょうど饗庭(篁村)君・関根(正直)君その他と早稲田で朗読研究会というものを興し……めいめい思い思いの工夫を試みていた際であったから、参考のため喜んで招きに応じてその席へ列なった。同席者には故鈴木得知君も故陸実君もおられ、四五の夫人連も列席であった。多分この会は饗庭氏が高橋(健三)氏に勧めて催させたものであろう。(時は明治二十五年の十一月)。老人は特にこの会に出る為にとて義歯(いれば)を新規につくらせたというほどで、二時間あまり『上総綿小紋単地(かづさもめんこもんのひとえぢ)』を読んだ。御覧の通りの総義歯で、それに調子も低くなりましてという断り付きであったが、何十年来の錬磨を経た自然の寂に、一種の芸術と見なすべき程の面白味があった。声色(こわいろ)らしくは読まぬのではあったが、肩書の役者の名から白(せりふ)へ移る間に、いつとなくぼかすように、うっすりと色が付いて、女となり、男となり、老人となり、菊五郎や半四郎が髣髴として浮かび上がる。其淡泊な味が面白かった。或は白からトガキへ、トガキから白へ又はトガキから浄瑠璃へ、浄瑠璃からトガキへ読み移る読み癖、殊に浄瑠璃を少しも味をつけず、素直に講釈口調を和らげたような息で読み流すあたりが耳に残った。」

繁俊が続けます。

「黙阿弥のはこれで十分にその味が分かる。随分読み生かしたほうであろうが、時としては役者の顔色を見て取って、特に力をこめたり、当意即妙のせりふを交えたこともあったであろう。書き抜きを受け取ってみると、どうもせりふが少なくて、違っていたというような追憶談が俳優によってのこされている。」

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)