河竹登志夫切抜帳11より①/祇園川上の忠臣蔵料理

切抜帳⑪は1978-79年、登志夫は54-55歳。今回は週刊朝日掲載の「わたしが好きなこの店・この一品」。登志夫はこのページで京都・祇園の川上という今もあるお料理屋さんを紹介しています。ここは、直木賞作家の松井今朝子さんの御実家でした。いまはそのころの御主人だった今朝子先生のお父様もお母様も亡くなられましたが、お店は健在です。週刊朝日の方は近々廃刊のようですね。

川上のご主人と忠臣蔵料理の後で(1987年12月15日)、お部屋のしつらえも忠臣蔵の世界です。

この川上さんのことは、10年後、1988年の冬号「四季の味」連載でも「忠臣蔵料理」というタイトルで書いていますので(「人生に食(くい)あり」/廣済堂出版に収録)引用してみます。

「(略)忠臣蔵料理など忘却の彼方、夢のまた夢だ…とあきらめていたら、あった!それも『忠臣蔵』七段目の舞台の名もそのままの、京都祇園『一力亭』のすぐそば、西花見小路の料亭『川上』である。

 高校時代の友人に連れて行かれたのが三十年前、開店早々のころで、いらい上洛の折はきっと立ち寄り、つけ台の前で主人の包丁に見惚れながら、飲みかつ食べるのをたのしみにしている。

 柴田書店刊『祇園川上の料理』にも記されているように、主人が一時養子に入って修業した『千茂登』いらいの伝統で、いまも淡路島直送の明石の魚を使い、細工しすぎず奇をてらわずを身上としている。そこがいい。(略)

去年の暮、数年来恒例になった仲間数人との伊勢参りの帰途、ひとり京都へまわって、ついでにご馳走になる機会を得た。このときは二階の座敷だった。討入記念日の十二月十五日のこと(上の写真)。毎年この日に『一力亭』へその特別料理を入れるのだ。献立表も七段目の由良之助に因んで、小豆色の二つ巴の紋をあしらった扇面の紙に刷ってある。『川上』主人の松井新七さん手書きの、オリジナルの巻紙ももらってきた。『丁卯師走 御献立 仮名手本忠臣蔵より』に始まるそのメニュー、なかなかの名筆だ。その内容は次のとおり。いっそ料亭ムードごとと思い、直筆の字でご紹介してみた。

『忠臣蔵』の大序は、嘉肴ありと雖も食せざればその味わいを知らず……という義太夫ではじまるが、これまさしく真理。献立ばかり披露するとは罪な話だが、平にご容赦を。しかし芝居の好きな方には、このメニューと舞台面や名優の面影とを照らし合わせながら、趣向をたのしんでいただくのも一興ではなかろうか。たとえば大序なら、舞台下手の鎌倉八幡宮のあの大銀杏に因んでぎんなん、高師直にかけて香茸……といったふうに。忠臣蔵料理はほかにもあるかもしれないが、ともかくこういう店がいまでもあるのがうれしい。主人も毎年趣向を考えるのが無上のたのしみだと言う。因みに松井さんは名優中村鴈治郎の縁につながる根っからの芝居通。好きでなければやれない仕事だ。さて今年もまた一年ぶりに、本所松坂町ならぬ祇園西花見小路へ討入らんものと、都合あれこれ算段中である。(一九八八年冬)」


河竹登志夫 OFFICIAL SITE

演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)