切抜帳13より②読売新聞「自伝抄」6~10回/戦争と青春

前回の続きです。前回は生まれた家のことについてや、自分の虚弱児時代のことでした。

6回目は子供時代、軍国教育を受けながらも、軍人に憧れる体力さえなく、絵を描いたり、本を読んだり朗読したりが好きだったと言っています。虚弱だったので、学校に行けないことも多く、病床で本を読むことも多かったからです。

小学校1年生の頃の両親と登志夫、松濤の家の庭で。
1年生の時は病気で始業式に行けず、6月になってようやく初登校。この年度は欠席81日でした。

1年生の頃の絵。
2年生〜3年生頃の絵。
小学校へ行く前に買ってもらった「団子串助漫遊記」、昭和5年の「漫画の缶詰」、昭和8年の「のらくろ上等兵」など。
下段の「小学童話読本」は大正14年菊池寛編集で、浜田裕介、小野浩、楠山正雄、西条八十、鈴木三重吉の著作を収録しています。大正の柔らかなロマンと人間讃歌に溢れています。小村雪岱の美しい挿絵の「源氏と平家」。武井武雄の「動物の村」「おもちゃ箱」などなど、今も家にある登志夫の愛読書たちです。
小学校高学年の絵。
7回目あたりからは、戦争とともに年をかさねる青春時代。軍事教練の話は時々話していました。
昭和14年、成城に引っ越しました。庭で家族と。
西方眼下に喜多見の田んぼを望む。
雪景色と北隣の畑。
昭和14年、成城転居の折、黙阿弥門葉(狂言作者の方々)。当時は14、 5人の作者の方たちがいらしたのですね。「ずいひつ牛歩七十年」より
昭和12年成城学園尋常科入学式(竹組)。
しばらく渋谷の松濤から通っていましたが、昭和14年学校の近くの成城に越しました。
前列右端が登志夫です。

千葉県興津水泳学校
超虚弱児童が泳げるようになりました。後年逗子の海でもよく泳ぎました。
弓道部が優勝した記念写真です。後年早稲田の弓道部部長もしました。
後列右から3人目が登志夫。
2020年7月のブログのリンクです。
小学校のときには遠足も修学旅行も叶いませんでしたが、箱根の金時山登山の遠足にも行けました!
新聞社の銀翼献金(時節柄の名前ですね)に竹組一同が献金しています。
体育大会にも出席できるようになりました!
幼少期に比べると、嘘のようです。体力に自信ができたことで次の希望に向かうことができました。
高等科2年体育大会では、クラス(理乙)が優勝しています。2列目、左端が登志夫のようです。
登志夫は東大の物理に進み、その後演劇に転向したことを、徴兵逃れのように言われることもあったようです。「登志夫さんが理系にいったのは徴兵されたくなかったからですよ」と、登志夫より少し年下で、徴兵されなかった世代の人がわけしり顔にそんなことを言うこともありました。

なぜ理系に惹かれたか、ここに書いています。生まれた時からお国のために、と叩き込まれて育ち、繁俊夫婦も反戦を教えていたわけでもない家庭でしたから、登志夫は他の大多数の子供たちと同じように、いざとなったらお国のために戦地へ行っていたでしょう。理系の学生が徴兵を免除されたわけではなく、「入営延期」だったのですから。

成城学園の理乙のクラスで一緒だった阿部公房ら同級生たちのこと。時局が悪くなり、野営演習も増え、高校は半年短縮での卒業となります。登志夫は睡眠時、寝返りを打つことがありませんでした。いつもきちんと上を向いて寝ていました。それは、この野営演習での体験のためだと言っていました。晩年、それが脊柱管狭窄症によくないと医者に聞いてからは、意識して体の向きを変えるようにしていました。真面目な登志夫らしい話です。

昭和17年1月、黙阿弥の五十年祭。今年は黙阿弥歿後130年でしたから、今からもう80年前のことです。この文章の最後に、「来年は黙阿弥歿後90年になる……」と書いて締めくくっています。

この時は皆42歳。ウキペディアによると、小尾さんは登志夫の翌年89歳で老衰で亡くなられたとか。暉峻さんは99歳でご健在。阿部さんは1913年に68歳で亡くなっています。
(2022年2月18日のブログには登志夫、繁俊の「同級生交換」を載せています。)
ここでは、恩師である天才・小平邦彦先生に出会って、自分の才能の限界を感じ、挫折感を味わって、転向していくことが。
兵舎から富士山を望む。
昭和18年5月と6月に、富士裾野滝が丘での野営演習の時の1枚。演習は9月まで続きました。
中列右から3人目の白いシャツが登志夫。
その時に登志夫が写した級友たちです。
東大入学の時の写真。
高校卒業が半年繰り上げられ、東大入学は"昭和18年10月7日 物理前期(木内教授撮影)"と写真帳に書かれています。最後列左が登志夫 。
昭和19年2月の登志夫。
当時は東京帝国大学でした。
昭和19年文学部、理学部1号館入り口。 
下2枚には"解析概論を読みつつ"と書かれています。

河竹登志夫 OFFICIAL SITE

演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)