日本のハムレット②


「日本のハムレット」の内容ですが、目次だけでも13ページにわたる大作です。登志夫はよく、「目次ができてしまえば、あとはもう出来上がったようなものだ」と言っていました。この目次は、自身が講演するときに必ず作っていたメモを思い出させます(講演メモは、いつもパーティーの招待状が厚手で使いやすいと、その裏に書いていました。紙を大事に使うように子供が小さい頃に言っていましたが、いい紙を、ただ捨てるのが惜しいと思っていたのかもしれません)。

"ハムレット移入史考”は、登志夫の仕事の中の、大きな柱のひとつでした。

きっかけは、1964年、妻・良子と結婚前のデートを兼ねて行った、日本橋白木屋(のちの東急百貨店)の「シェイクスピア生誕400年展」。ここで、「ハムレット」の「To be,or not to be,that is the question」というセリフが「アリマス、アリマセン、アレワナンデスカ」とローマ字で訳されていた英字新聞でした。これは一体どんな目的で訳されたものなのか?実際上演されたものなのか?


「白木屋で見たこの珍訳について『悲劇喜劇』に寄せた小文が機となって、再び明治新聞雑誌文庫や図書館通いがはじまり、『新劇』に『日本における『ハムレット』考・序説』から『ハムレットの軌跡』八回を連載。これに大量の書下ろしを加えて五百五十一枚におよぶ『近代日本演劇とハムレット』(『比較演劇学』所収・後に『日本のハムレット』として単行本化)が成った。連載をはじめたとき、独白訳に関心の深かった福原麟太郎博士から、新聞紙上で『大変な仕事をはじめた。かたずを呑む』と励まされたのが忘れられない」(「続々・比較演劇学」私記・比較演劇学五十年より引用)


この珍訳については、後年謎がとける日が来て、そのことは「続・比較演劇学」に、「日本のハムレット・追稿」として収録されることになります。

この本の構成は以下の通りです。

「序論 日本におけるハムレット研究の意味とその課題」

「本論 ハムレットの軌跡/序章・バロック的ハムレット観と日本/第一章・文明開化の中のハムレット像/第二章・欧化改良とハムレットの二経脈/第三章・合流点に立つ舞台のハムレット/終章・新劇の傍流に掉さすハムレット」

「結論 ハムレット移入史にみる日本演劇の特質と位相」

附として、第四独白邦訳集や「歌舞伎化されたベニスの商人」「日本のロミオとジュリエット」などがあります。

登志夫は、黙阿弥の曽孫として、黙阿弥の作品上演の際のプログラムやNHKの芸能番組など、年をとるにつれてますます黙阿弥関係の仕事が多くなりましたが、登志夫が49歳のとき、東京大学から博士号を受けた学位論文は、「近代日本演劇とハムレット ハムレット移入史の研究」(昭和52年に芸能学会特別賞受賞)です。歌舞伎を知るには、日本だけを見ず、広い視野で、というのが変わらない姿勢で、それが「比較演劇学」です。

この本のはしがきの最後に、

「このささやかな一書が、シェークスピア移入史ないし近代演劇、近代文学の比較学的研究の分野においてのみならず、さらにひろく、伝統と創造の問題や近代文化の本質などを考えるうえに、多少とも寄与するところがあればと願っている」

とこの本への期待を述べています。


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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)