日本のハムレット①
横尾忠則氏の装幀による「日本のハムレット」は、昭和48(1973)年10月31日刊行、登志夫48歳の時でした。横尾氏は、成城に住んでいた頃のお隣さんで、子供たちもよく行き来して遊び、親しくしていました。この本は、登志夫一家が、成城から逗子市に越してすぐに出た本です。
こちらがケース。この絵は、明治19年の東京絵入新聞に連載された仮名垣魯文作「葉武列土倭錦絵」の挿絵で落合芳幾筆。墓所のハムレットの場面が、海の風景と合わせる発想が素敵です。
こちらがケースの裏です。
中身は、表紙から裏表紙にかけて、シェイクスピアの顔が、横尾氏独特の色使いで大胆に印象的にデザインされています。
表紙を開くと几帳面に宛名が消されていますが、登志夫がどなたかに寄贈するつもりだったものを、なにかの理由で送らずに手元に置いて、書き込み本にしていた一冊です。
あとがきに、隣人のよしみで、当時から売れっ子で忙しかった「畏友」横尾氏に装幀を頼んだことが記されています。
この本はかなり贅沢なつくりで、表紙をあけると絵の見開きがあり、さらに、ひらくとタイトルが。この右ページの写真は、登志夫の撮影によるデンマークのハムレットの古城。
このページの裏には、この写真の解説として、ここを訪れた時のことが記されています。日曜日に生れた人は、この古城で先王ハムレットの亡霊が見えるとか。いまネットで調べたところ、登志夫の誕生日、大正13(1924)年12月7日は、なんと日曜日。登志夫がそれを知っていたかこの文章ではわかりませんが、しかし、
「目をつぶると、甲冑に身をかためた白髯(はくぜん・白いひげのこと)の亡霊がさまよい、耳をすますと、皇子ハムレットの死をとむらう殷殷たる砲声が、きこえてくる。」
とありますので、もしかしたら……。
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