「連獅子」の獅子

明日から、歌舞伎座が久しぶりの開場です。最初の演目は黙阿弥作の「連獅子」です。さらに、9月に「大阪文化芸術フェス2020」でも「連獅子」が上演されると、一昨日に発表されていました。獅子は、昔から、邪を払うと伝えられてきましたので、コロナ禍をどうにか払ってほしいものです。

登志夫の随筆集「幕間のひととき」に「獅子がしら」という文章があります。(以下引用)

「五月(1970年)歌舞伎座の、三世中村歌六五十回忌追善興行は、近来での盛況だった。

中でも絶讃されたのは、勘三郎、勘九郎父子の連獅子である。(略)

ところで、この『連獅子』や『鏡獅子』のもとは、いうまでもなく能の『石橋』だが、さらにその源流は聖徳太子のころはるばる大陸から渡来した伎楽の獅子である。いらい千数百年、獅子舞は悪魔退散のめでたい芸能として、日本の風土にふかく住みついているのだ。(略)

たしかに獅子が好きである。だが私の獅子好きは、歌舞伎や能や民俗芸能との出会いよりずっと古い、幼いころからのものらしい。

このあいだ、たぶん戦後はじめて、古い茶箱の整理をしたら、玩具の獅子面がふたつ出てきた。どちらも朱塗りで、ひとつは顔の幅二十センチほどの木彫り、もうひとつは十三センチほどの泥の面である。(略)

このふたつの面は四十年ちかくもまえ、私が小学校に上がるか上がらぬころ、亡父繁俊が買ってくれたものである。そのころの私は、年の半分か三分の一は床の上で過ごすような、いわゆる腺病質の子供だった。渋谷の松濤に住んでいた時分である。病気で寝ていると品川沖あたりの汽笛が、ボーッとにぶくきこえてくる。するとなぜか、不気味な笑いをうかべた石の地蔵が、いくつもいくつも現れては消えていくー 毎夜、そんな幻をみた。

いつか私は、獅子が好きになった。いつも見てもらう小児科の竹内薫兵先生の応接間で、小さな金色の獅子面を見たのが動機だったかもしれない。やがて父が、折にふれて買ってきてくれるようになった。『ほら、悪魔払いだからね、すぐ病気なんか治るよ』といって、新しい獅子の玩具を枕辺においてくれるのであった。」

この写真が、繁俊が登志夫に買ってきたものです。もう90年近く前のものですが、いまは登志夫の妻良子を守っています。
このあと随筆は、登志夫が、最初の結婚の時に、生まれて間もない肺炎の長男のために、敗戦の跡のこる東京の玩具屋を獅子面を求めて歩いたが、とうとう見つからず、その後生後四カ月の長男を亡くしたこと、繁俊の最期の頃、獅子面を買って枕頭にならべたこと、など、少しほろ苦い回想が続きます。

登志夫が、いまからちょうど50年前、歌舞伎座で勘三郎父子(十七世と十八世)の「連獅子」を観た帰り道にこんなことを回想していた、というお話しでした。



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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)