2016年の飯田市

2016年、平成28年に飯田市美術博物館で開かれた「日本の近代化に挑んだ人びと」展に行った時の写真です。飯田市美術博物館はまだ新しく、とても立派な施設でした。プラネタリウムもあり、平日の午前中に訪れたので、他に客がおらず、上映予定のプログラムではなくても、好きなプログラムを上映してくれると言ってくださいました。オリジナル番組には、「日本の博物館の父田中芳男(この展覧会のサブタイトルに名前のある方)」や、「菱田春草」、「飯田のりんご並木」など魅力的なものがたくさんありましたが、この時期の特別プログラム「ジャイアントパンダ~故郷への旅~」というのをリクエストし、館内にはふたりだけという贅沢な体験をさせてもらうことができました。これは、わたしたちが展示会に出展されている人物の家族、ということを係りの方が知ってのことではなく、普通に、声をかけてくださってのことでした。

上の写真は美術博物館の展望台からの市内の風景です。前回の、大正6年の犬車はこのような山の間を走ったのでしょうか。

もう40年以上も前、登志夫一家で飯田を訪れた際泊まった宿を利用してみました。「天空の城 三宜亭本館」。お部屋は、昔ときっと同じだろうな、という、歴史を感じる雰囲気でした。天井が低く、映画「リング」に出てくるような、姿見のついた鏡台が畳の部屋にありました。お風呂、とくに洗い場は広大で、夜遅くひとりで入るには警戒せずにはいられませんでした。

長野県の飯田は、比較的大きな町だと思いましたが、駅にはコンビニも見当たらず(当時)、繁俊の生家山本は、ここからまだ遠いのですから、現在でも不便なところなのだろうと想像しました。その分自然の美しさは不便さに比例して素晴らしいことでしょう。

40年以上前、家族で山本を訪ねた時の家族写真です。5人で行きましたが、ひとりは撮影者です。

河竹登志夫 OFFICIAL SITE

演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)