登志夫の包丁②

逗子・披露山の家の書斎にあった水屋の棚には包丁がたくさんありました。ケースがあるものもありますし、自分でボール紙で作ってたものもあります。趣味が公になると、貰い物も増えてきて、最終的には何本あったのか。

すべての包丁が、この写真で使っているように、キラキラに研がれているのです。

下の記事は、1986年、昭和61年、登志夫61歳の時の週刊朝日のインタビューです。ここですでに30本以上の包丁を所持していると語っていますので、この時からまだまだ増えていったということです。

このインタビューで話しているように、昭和60年の十二代目團十郎襲名の訪米歌舞伎に文芸顧問として同行した際にはこの包丁を持参しました。海外公演で刺身を振る舞うようになったのは、もっと前からでした。以下、「包丁のある書斎」(日経新聞に71回にわたって連載したエッセイをまとめた書籍)より引用です。

「七年前(昭和53年)シドニー公演のおり、あまり魚が安いのでつい買いこんで活けづくりにし、スタッフ一同団長の部屋で酒盛りをした。刺し身とうしお汁を歌右衛門さんにおすそ分けしたところ、

『まあいいお味!大学の先生なんかおやめになったらー』

と、これはどこかに書いたが、意外の讃辞を受けたのはその時のこと。

 なんとなくそれが恒例になった。日本料理屋は沢山あるのだが、床に新聞紙をしいてウロコをひき、せまい流しでつくって紙皿に盛る"世話場”の味はまた別、というわけだ。」

海外で、生ものを歌右衛門さんに食べさせてしまうなんて、普通ならちょっと怖くてできないように思いますが、いつも海外公演にはお医者様も同行していたので、そこまで考えてのことだったのでしょうか。その後も海外公演では多くの俳優さんや、スタッフに振る舞いましたが、問題がなくて本当によかったです。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)