登志夫の包丁①
登志夫は、刃物が好きで、包丁を研ぐのが好きでした。きっかけは小さい頃の五月人形が持っていた刃渡り8センチの太刀だとか。
本格的には、父繁俊の晩年、自宅に届くお見舞いの魚をおろす必要があって始めてから。以後病みつきになり、自分で生きた魚を買い、おろし、食し、研ぎ、時には寿司屋や料理屋で習ったり、、を繰り返すことになったのです。
逗子の書斎には自分用トイレと、自分用水屋があり、そこにたくさんの包丁や砥石がありました。深夜、原稿書きに行き詰まったり、疲れたりのときに研ぐと、「心気禅定、精神浄化」できました。
包丁を砥ぐと、どんどん形が変わるため、最初に形をなぞっておきました。何事にも研究熱心な登志夫ならではです。均等に減らすのは難しいようで、だんだん研ぐ人に似てくるとか、、。
この包丁は、登志夫が亡くなったあと、家族で分けた一本です。京都の錦市場で買った有次のもので、刃渡り30センチ近くあるので、重みもあります。あまり形が変わっていないのですが、よく研がれていて切れ味抜群です。刺身や鶏肉など、いざという時に使うのですが、こんな時、亡くなってからも助けてもらっている、と感じ、存在感を感じます。
ずっと切れるままにするため、使ったらすぐに洗って水気をよく拭いて滅多に使いません。。こんな大きなの、自分では研げませんから。
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