登志夫撰文・玄冶店碑①源氏店のモデルの地

歌舞伎の人気演目「与話情浮名横櫛 源氏店」。この演目を多くの役者さんは「源氏店(げんじだな)」とは言わず、「玄冶店(げんやだな)」と呼びます。「♪ 粋な黒塀見越しの松に 仇な姿の洗い髪。。。死んだはずだよお富さん」という歌は、この芝居が元になっています。写真は、賑やかな東京都中央区日本橋・人形町交差点近くに立つ石碑。「源氏店」のモデルの地です。


上の写真が表。こちらは車道に面しています。裏にはこの碑の説明があります。この文章は登志夫が書き、1968年10月にここにたちました。その時から51年以上、雨風に晒され、石も汚れて色が濃くなったたためか、文字はだいぶつぶれて読めません。

なんとこの碑文の文字校正が残っていました!

実際の石でも、なんとか「河竹登志夫 識」という文字があるのが読めます。

隣に案内板があるので、こちらでも読むことができますが、登志夫オリジナルの文章ではありません。この地は、岡本玄冶という医師が1633年に功を立て、幕府から拝領した土地を貸家にして、しゃれた妾宅などもあったとされています。天保の改革後、浅草に移転するまでは、芝居町だった葺屋町、堺町の市村座、中村座は通りをはさんで目と鼻の先にあり、しゃれた場所だったことが想像できます。

この作品は、七五調のセリフが有名ですから、時々黙阿弥作品と間違える方もいますが、三世瀬川如皐の作品です。如皐は黙阿弥と同時代の人でしたが、10歳年上でした。黙阿弥と如皐については、次回②で登志夫の「黙阿弥」から引用してご紹介します。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)