切抜帳28より①/劇場プログラムより
1995年6月国立劇場歌舞伎鑑賞教室プログラム。監修のことば「黙阿弥の会心作」。黙阿弥が最晩年に書いた手記に「極大入」と地震で評した「河内山」の上演にあたっての言葉。河内山宗俊を十世三津五郎さんが演じました。
7月国立劇場鑑賞教室(右ページ)。監修のことば「女ごころの悲劇」。「野崎村」の上演。現在の萬寿さんのお光と現在の雀右衛門さんのお染、高麗蔵さんの久松。お父さんは懐かしい先代又五郎さん。
左ページには、日本演劇協会新役員通知状の校正か、または校正なしに出来上がってしまったものにやむなく赤字を入れて保存したか、厚手の挨拶状。
同月末、歌舞伎座で行われた富十郎さんの「第七回矢車会」プログラムに寄稿。「『茨木』と新古演劇十種」」。明治の九代目團十郎と五代目菊五郎の対抗によって次々に生まれた舞踊劇。二人の俳優は黙阿弥と取り合うように、新しい作品を求めました。そのあたりのことを書いています。
10月1日第50回記念芸術祭祝典プログラム。昨年80回を迎えたこの事業、始めた人たちの苦労や目的などは、現場の人々はすでによくわからず、公演名のタイトル周りに「芸術祭参加」などと入れていますが、長く続いていることも時々最初を振り返るのはしみじみするものだと、これを読むと思います。
10月グローブ座俳優座公演プログラム。川上音二郎一座が明治後期に「オセロー」を翻案上演したものを俳優座が上演、登志夫は逍遙を出して、翻案劇と翻訳劇の誕生期について書いています。しかし、翻案劇の主役の名前の変換はどれもなかなかしっくりこないものです。「むろわしろう」とは。。。
11月国立劇場「縮屋新助」監修にあたり、プログラムに「黙阿弥と縮屋新助」寄稿。黙阿弥のアイディアマンとしての手腕が発揮された公演だったことや、縮屋新助のモデルについてなど、面白く書かれています。新助は今の白鸚さん、三代吉が福助さんでした。福助さんの手古舞の姿はとてもきれいでした。
南座顔見世興行プログラム。「幡随長兵衛」上演にあたり、「湯殿の長兵衛のリアリズム」。この芝居は、明治の事実・史実重視の方針にのっとった史実に忠実なドラマであり、主演の九代目團十郎も写実芸を好み、迫真の演技を見せ、大評判となったという。この時は二世吉右衛門さんの長兵衛でした。
11月シアターX(カイ)、親しかった五十田安希さんの一人芝居プログラムに寄稿。「女優松井須磨子 牡丹刷毛」上演にあたり、「寄せ書きのある『ハムレット』」。繁俊が文芸協会時代「ハムレット」に出演し、譲られた台本のおはなし。続けて鼎談があります。このひとり芝居の中でも繁俊が登場したようです。
翌1996年1月歌舞伎座プログラム。「新世紀の歌舞伎」。21世紀までまだ数年ありますが、早くもそういうお題が松竹から与えられたのでしょうか。
2月29日NHK古典芸能鑑賞会プログラムに「伝承の心」。この七代目幸四郎の芸談のような話はそのあとも色々言い伝えられています。少し前の世代の俳優さんたちは「ビデオ先生」と言って、映像で見るだけで直接教わらない若い人を少しあきれて語っていたものでしたが、いまではビデオよりもっと簡単に映像のやりとりができてしまいます。
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