切抜帳より③/雑誌など

1993年6月号「月刊みんおん」。3年前に『作者の家』を『糸女』という舞台にした演劇プロデューサー西舘好子さんとの対談。西舘さんは井上ひさし氏と婚姻関係だったころ、こまつ座を主宰、その後みなと座を立ち上げ、「糸女」を舞台化なさいました。登志夫・良子夫婦とは親しい仲間のおひとりでした。

1993年4月号日本比較文学会ニューズレターにエッセイ「異端者の悦び」。

9月発行「白水社出版ダイジェスト」に「黙阿弥の代表的名作2篇」として、歌舞伎オンステージという歌舞伎名作シリーズに『宇都谷峠』と『青砥稿花紅彩画』が収録され出版されるにあたって。

日本演劇協会月報10月号に「会長就任にあたって」。北條秀司氏が任期中に辞任されたことにより、登志夫が選ばれたとのこと。登志夫は当初固くご辞退したけれども、とりあえず北條氏の任期の間だけはお受けすることにした、と書いています。


9月号「AJICO」に「黙阿弥の味、江戸の味」。黙阿弥、糸女に伝わった「おなめ」はじめ、黙阿弥家の味、江戸の味について。

10月「日本比較文学会」に「晴朗」という題で、8年勤めた会長職を任期満了で終了することへのすがすがしい気持ちと感謝を述べています。

10月「共立女子大学・文芸学部報」に「四十周年と新関先生」。共立女子大の文芸学部を創設した登志夫の恩師でもある新関良三先生について、そのご縁について書いています。

11月「共立女子大学公開講座」に「黙阿弥の世界」。


1994年新年号「PHP 歴史街道」の「美しい日本との再会」というページに登場。高橋洋子さんを聞き役のようにして、登志夫が京都南座で、京都と歌舞伎、顔見世のことなどをお話ししています。

1994年2月号「銀座百点」の恒例句会。この年もびりから2番目のようす。

「ブリタニカ国際年間」1994年版に、前年2月に亡くなった戸板康二氏についての解説。

6月「放送文化基金賞」授賞式パンフレットに。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)