切抜帳23より①/公演プログラム

1991年1月サントリーホールでのニューイヤーコンサートのプログラムに「ワルツの季節」。NHKのダンス番組で夫婦で踊ったり、ダンスの趣味がいくつか取り上げられたことで、このプログラムにも寄稿し、ダンスを愛好するようになった経緯を語っています。競技ダンスや発表会用にならったダンスではなく、昔ながらの楽しむダンス、いくら古いといわれても、そこから離れませんでした。

6月、東京グローブ座の「葉武列土倭錦絵」プログラムに「歌舞伎とシェイクスピア」。明治、翻訳劇が主流になる以前に黙阿弥も作った翻案劇。この芝居はそのころ仮名書魯文によって作られた「ハムレット」の翻案。翻案劇はいま見ると、外国人名が面白く日本人名にかえられていているのをはじめ、いろいろな苦心がうかがわれます。この「葉武列土」は当時の市川染五郎さんによって演じられて、イギリスでも上演されたものです。登志夫はこの上演にけっこう関わっていました。自分がこれは上演されるべき、と思っていた作品が初上演の日の目を見るにあたっての高揚感が伝わる文章です。

国立劇場6月歌舞伎鑑賞教室に監修の言葉。「毛抜」上演にあたり、「豪快奇抜な荒事」。「十八番」をキーワードにして團十郎家と荒事、そして「毛抜」のみどころについて書いています。

翌7月の鑑賞教室は、「石切梶原」上演にあたって、「さわやかな義太夫狂言」。

8月10~11日の「矢車会」プログラム。中村富十郎さんがご自身の会を9年ぶりに歌舞伎座で再開した公演に「矢車会再出発にむけて」。祝福の言葉と、今後黙阿弥物を継承発展させていただきたいと期待しています。富十郎さんは「船弁慶」「連獅子」など黙阿弥の踊りはもちろん、ここに書いている通り、「加賀鳶」の道玄なども大変面白く拝見したものです。矢車会はこの後も回を重ねていました。

8月25日、東京グローブ座でイギリスとの演劇イベントのような公演で、6月に同劇場で上演した「葉武列土倭錦絵」を上演。そのパンフレットに歌舞伎とシェイクスピア、この作品について、英語で寄稿しています。

9月22日、歌舞伎座での子供歌舞伎教室「二〇〇回を記念して」。昭和27年から6年間繁俊が月一回解説を引き受け、その後昭和34年から登志夫ほかにかわって長いこと続きましたが、今はほとんど開催されていません。定期的に開催しているころは、当月上演している演目の中で通常公演の前に上演するのに適した演目を選び、この日だけの配役で、若い役者さんの勉強や、若手製作スタッフも勉強する場とされていました。

このほか、歌舞伎公演以外に、親交のあった山本學さんの公演に「二元の道」。島村抱月、須磨子、芸術座のことについて書いているので、この「愛の時間」という公演の内容が抱月須磨子の愛の時間、ということだったのでしょうか。芸術と資金。大衆受けする、お金儲けができる芝居と芸術的なものとは一致しないことが多い、ということだったのでしょう。

こちらは服部ケイ(服部佳)さんの演劇企画K公演に。原作がテネシー・ウィリアムズということで、登志夫が直接取材したテネシー・ウィリアムズとのやりとりのことを書いています。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)