切抜帳22より⑥/神奈川新聞連載「週言」8月~12月

前回から引き続き、後半。

7回目は8月13日「新暦と旧暦」。本当に、歌舞伎の年中行事などは江戸時代からのものですが、顔見世は11月のものだったのですから、現在の12月。歌舞伎座では現在11月に顔見世興行ですが、南座では12月に行っています。御園座では10月…。忠臣蔵は史実では現在の1月。いつも旧暦なら何月?と考えながら観てしまいます。

8回目は9月17日「偉大な長老」。登志夫がこれを書いた35年前にはまだ「老害」という言葉は一般的ではなかったように思います。登志夫も生きていたら今年100歳。100歳の登志夫に会いたかったと思います。どんな「老害」になっていたでしょう。

9回目は10月22日「亡国への連鎖反応」。日航機墜落から、遊覧ヘリの話……、このころよりも頭上の安全はもっと増えています。品川あたりでは夕方絶えず至近距離に旅客機が飛び、さらにドローンもこれからどんどん飛ぶのでは?品川で旅客機が墜落したらどんな大惨事になるのだろう、とよぎりますが…。

10回目は「良識の麻痺」。「週言」連載も最後に近づき、言いたいことが噴出してきた感じも。良識の麻痺は今も変わらず、長く生きていると、ここで登志夫の言っている「加害者に甘い日本」がわかってきて、大真面目にやっている者が報われない世の中にうんざりしたりもします。しかし、常識や良識をこうして本気で述べる大人がいることは必要なことだと思います。

最終回は12月31日「今日一日を大切に」。戦時中、出征前の親友と旅した思い出。ここに出てくる友人Nは、中村陽吉さん。今年100歳になられているはずです。登志夫が亡くなったあと、いつも命日に墓参してくださり、良子や娘たちも何度か中村さんのご近所の下北沢で会食したりと、楽しい時間を持ちましたが、ここ数年はもう外出もままならなくなってしまい、あ会いできていません。「呼べばくる亀」というご著書があり、上品なユーモアのある本当に素敵な方です。連載の締めくくりは、「生命の尊さ」。戦中戦後を生きた人たちの言葉には説得力がありますが、現代は現代で、戦時中にはなかった苦しさがあり、これからも若い人も年寄りも尊重しあって「一日を大切に」生きられる社会であればよいと思います。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)