切抜帳22より④/公演プログラム

1990年5月国立劇場、前進座公演プロに「河内山と“黙”の字」。「河内山」と「白浪五人男」、「三人吉三」を黙阿弥の三大人気作として挙げ、「河内山」は引退の数か月前に七年前の「雲上野三衣策前」の増補として作られ、新富座で62日興行という大入り、この作品こそ引退興行の「島鵆月白浪」よりも黙阿弥自身、江戸作者として最後の自負を託した作品ではないかと思う、と登志夫は書いています。そして、引退の時黙阿弥という名になった謎についての明らかにしています。

こちらは同年の5月30日、31日の2日間行われた国立劇場「第61回舞踊公演『道行の舞踊』」プログラム。道行ものばかり、清元「旅路の嫁入」、地唄「古道成寺」、義太夫・清元「吉野山 」、義太夫「葛の葉」、長唄「三勝道行」、常磐津「妹背山」、一中「天の網島」、清元「累」を、錚々たる舞踊家、演奏家が出演して上演されています。歌舞伎俳優では三代目猿之助さんが最後の「累」の 与右衛門を、藤間紫さんの累で踊っています。

登志夫は「道行の美学」として、道行の起源から発展、西欧との違いなど、大変密度の濃い道行論を寄稿しています。決められたテーマ、文字数、期限を守って毎回一度読んだらそれで終わりという側面の多いプログラム(しかもこの公演はたった2日の公演で発行部数もすくない)に、このような読み応えある文章を、手抜きすることなく、安い稿料に文句も言わず提供し続けた登志夫は改めてすごかったと感じます。


同年6月セゾン劇場プロに「油地獄の世界」。倍賞美津子、石田純一による「女殺油地獄」、横内謙介脚本。ここに登志夫は、繁俊が近松の浄瑠璃を竹本なしで脚色した最初だと記しています。1919(大正8)年3月に有楽座で三世守田勘彌、女優の初瀬浪子によって上演された現代劇として上演され、好評を得ました。そういえば、ここで使っている「チョボ」という言葉も、もう使わなくなりました。


同年6月国立劇場歌舞伎鑑賞教室「勧進帳」上演にあたって監修の言葉「歌舞伎の形とこころ」。弁慶を段四郎さん、富樫を歌六さん、義経を信二郎(錦之助)さんが演じています。

翌月の鑑賞教室は「蘆屋道満大内鑑」、監修のことばは「ロマンの世界」。澤村藤十郎さんの葛の葉、阿倍保名を橋之助(芝翫)さん。この作品の性質が、中高生向けにわかりやすく解説されています。

そして同年10月28日に歌舞伎座で開催された「全早稲田文化博覧会」のプログラムに、「歌舞伎十八番の『助六』」。謎のイベント、最後に「早稲田大学文学部創立百年の祝賀芝居」だと書いてあります。現在も歌舞伎座の狂言作者のトップとして活躍されている竹柴正二さんは早大演劇科出身、正二さんが『助六縁江戸稲穂』を脚色したとあります。記録があまりないですが、早稲田大学のデータベースに高橋三千綱、栗本薫という名前があるのでこのお二人が助六、揚巻を演じたのかもしれません。登志夫はちゃんと『助六』の解説を書いています。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)