切抜帳21より④/家紋のこと、その他ちらしなど
1989年8月刊行「別冊歴史読本・事典シリーズ第三号 日本姓氏紋章総覧」。サブタイトルは「姓氏からも紋章からも『わが家』がわかる」。登志夫は「うちの家紋は亀甲根笹」という小文を寄せています。亀甲根笹について、「初代(河竹)新七の紋が何であったか、わからない。たぶん黙阿弥が前名斯波晋輔から河竹となったときに、この亀甲根笹を創案したのだろうとおもう。黙阿弥は師についたことはないが、芝居の絵看板の下絵を自分でかくくらいで、絵心のある男だった」と書いています。文の最後、この紋のついた紋付を、繁俊はよく着ていたが、自分は着る機会がなく箪笥にしまったままとあります。登志夫は亡くなるひと月ちょっと前、2013年3月の歌舞伎座新装開場手打ち式で舞台に座った時に紋付を着ましたが、その時には衣裳さんが用意してくれた紋付でした。ちゃんと家紋を聞いてくれて、簡単に後付けでうまく作ってくれました。
この文中にあった繁俊の本『黙阿弥の手紙日記報條など」にある家紋はこちらです。
こちらはその解説。
同年11月に日本橋丸善で開催された「ワセダと現代の作家たち」展プログラムの登志夫のページ。
同年末に作られた前進座公演のチラシに、「名作歌舞伎全集」の登志夫の文から抜粋。1990年5月国立劇場「天衣紛上野初花」上演に当って。
同年7月毎日新聞から出た「豪華写真集歌舞伎荒事」に序文と監修。こちらはそのチラシ、序文からの抜粋が掲載されています。
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