切抜帳21より①銀座百点句会、新聞雑誌エッセイなど
1988年の暮れに開かれた恒例銀座百点句会。一番最後に登志夫の名があるところを見ると、一番点数が低かったのでしょう。登志夫はよく、いつもビリだけれど、会場の竹葉亭の鰻が楽しみ、と言って笑っていました。本業ではないことは気楽に楽しんでいました。
1989年3月号講談社「NEXT」にエッセイ、「ウサギのいる庭」。娘たちはもう高校を出てそれぞれ、逗子には一緒に住んでいなかったので、ここらへんからは夫婦ふたりの生活。
「Human Imaging」と言う媒体にエッセイ「自然の人生」。健康、趣味、スポーツのこと。
演劇界臨時増刊「昭和の歌舞伎」に、エッセイ「はじめて見た芝居」。
6月9日朝日新聞「余白を語る」。舞台の台本仕立てで構成しています……。登志夫は早稲田大学を選択定年制度を利用して定年より5年早く、65歳で退職しました。今後やりたいこととして、黙阿弥の晩年について書きたいと話しています。これは、後年『黙阿弥』として出版しました。
「月刊かながわ」7月号。「神奈川とわたし」に、「いい丘いい海いい魚」。写真は逗子の家の仏間。床の間があり、窓からは富士山江の島がよく見えました。神奈川県の媒体なので、逗子のいいところをたくさん述べています。
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