切抜帳20より③/第4回こんぴら歌舞伎
こんぴら歌舞伎は今年38回を迎えました。第4回の行われた昭和63年時点、登志夫が「フィーバー」という言葉を使っていますが、大盛況だったようです。興行中の4月14日、四国新聞社の主催で、琴平町公会堂でシンポジウムが開かれています。登志夫が1時間の基調講演「いま、なぜ、四国こんぴら歌舞伎」を受け持ち、その後2時間半という長尺で、永山武臣松竹会長、茂木松竹常務取締役、関容子氏、鈴木治彦氏らのパネルディスカッション。
こちらはその時配布のプログラム。
こちらはシンポジウムの2日前に四国新聞でこんぴら歌舞伎特集した際の寄稿。第1回目のこんぴら歌舞伎より10年前の昭和51年に、登志夫は復元が成った金丸座の見学調査をかねた日本演劇学会の年次大会に訪れ、総会の座長を務めています。第1回目にもなにかと関係し、良子も同行して数日を過ごした良い思い出があります。
こちらが14日の基調講演の内容です。
おなじく四国新聞、登志夫の基調講演の内容を要約して……
歌舞伎最盛の江戸期の様式を完全な形で残した芝居小屋というだけでなく、“生きた形”で継承されている点を絶賛し、「文化の原点を見直そうという世界的な動きの中で見ても素晴らしい成果」と位置付け。数多くのエピソードを紹介して歌舞伎が庶民文化の華であることを強調した。
と紹介しました。
4月22日読売新聞。文化欄に「生きた演劇空間の回復」として、こんぴら歌舞伎について寄稿。
こちらは今となってはよくわかりませんが、四国の銀行が出した写真集でしょうか、そこに「歌舞伎美の原点」という題で寄稿しています。
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