切抜帳19より②エッセイ
1986年9月、ホテルセンチュリーハイアット機関誌「CENTURY」にエッセイ「アテネの一夜」。ホテルの機関紙に、旅のエッセイを寄稿。良子との海外旅旅行の思い出。
同年秋号「放送文化基金報」に四回の連載。一回目「海」。登志夫の呼びかけで、子供も海に連れて行かれました。7月中の午前中がよいとされていました。午後や、8月になるとクラゲが出るので。子供は海が近いありがたみなどわかっていませんので、暑い中早くから山道を歩いて往復するのが結構面倒だった記憶も。楽しみは、海の家で食べるラーメンやおにぎり、売り子から買うかき氷でした。水着にスカートや短パンを着て行き、帰りもそのまま帰りました。海に行った日は昼寝するように言われ、海から聞こえてくる迷子のお知らせのアナウンスを聞きながらうとうとしたのも子供の頃の夏の思い出です。
同年同誌、冬号。「雪」。登志夫は折に触れ、この「木六駄」の真っ黒い雪という表現のことを書いていました。
同誌、1987年春号「花」。團十郎襲名アメリカ公演でのポトマック川のサクラの話。
同誌、同年夏号「山」。体の弱かった子供の頃の、ひと夏の信州での思い出です。
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