切抜帳18より④/その他
1985年9月3日朝日新聞「新人国記」、「この世の劇見つめ」というくくりで今村昌平氏、山田太一氏と同じ欄に掲載。
JTB「旅」同年12月号に、「新宿/いつまでも青春の町で」というエッセイ。冒頭の「東京行進曲」は登志夫の好きな歌でした。最晩年、一緒にカラオケボックスに行った時にうたった動画も残っています。ここに書いてある歌舞伎町の迷路のような路地にある「三日月」はまだあります。ここには娘たちを連れて行ったことがあり、その時の登志夫は本当に生き生きしていました。流しお断りの店で、たしかそのころはせまい店の床は土だったような気がします。足が治ったらひとりで飲みに行きたい、と最後の方はよくこぼしていましたが、一番行きたかったのは新宿だったことでしょう。
1986年3月1日号「能楽タイムズ」。若い時から親しい野村万作氏と対談。能、歌舞伎それぞれの海外公演での反響などについて話しています。
同年2月、読売新聞社発行の「大相撲」に「わが思い出の一番」。登志夫は昭和10年夏場で見た一番をあげています。テレビのない時代だから、両国国技館に見に行ったのですね。ずいぶん克明におぼえているものだと感心します。大鉄傘時代の国技館というのは、現在の国技館から少し離れた回向院があるところに明治42年に作られた競技場でした。
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