切抜帳18より②/演劇公演プログラム
1985年8月近松座第四回『冥途の飛脚』公演筋書へ、「近松座への言葉」。近松座は1982年に、亡くなった坂田藤十郎さんが扇雀だった頃に近松門左衛門作品を上演して継承していくために立ち上げました。この時は武智鉄二氏の演出による上演でした。登志夫に、歌舞伎俳優では誰が好きかと聞いた時、「扇雀だね」と言っていました。ここに登志夫が書いているのは、プログラム用のお世辞ではなく、本当のことです。他にはあまりどの俳優が好きだと言っていた記憶がありません。「上手い」とか「しっかりしている」という賛辞は色々な俳優さんに使いましたが、「ファン」に近い感覚を当時の扇雀さんには感じていたようです。
同年8月文学座公演「芝居」(三越劇場上演)のプログラムに「黙阿弥とその時代」。吉永仁郎作・加藤武演出のこの『芝居~月もおぼろに』は文学座HPの記録によると、再演はなかったようです。黙阿弥をモデルに創作された作品。登志夫は、黙阿弥の生涯を簡単に解説しています。
歌舞伎座9月筋書に「監修席より 逍遙史劇の形とこころ」。松竹九十周年記念中村会九月『桐一葉』上演の際、監修を勤めました。中村歌右衛門の淀君でした。富十郎、芝翫、吉右衛門、福助、勘九郎らの出演。歌右衛門がこの7年後の1992年にもう一度この演目を上演して以降、なんとこのお芝居は一度も上演されていません。
上と同年同月の演舞場筋書に「心中と不心中」。田中喜三作、戌井市郎演出による『恋衣黙阿弥草紙』。片岡孝夫、太地喜和子の主演。「十六夜清心」をベースにした物語。心中と不心中、近松と黙阿弥の世界の相異、時代の違いなどについて書いています。
同年同月、文化庁移動芸術祭・邦舞プログラムに。同年同月の演劇公演プログラムを3本、これだけが仕事ではない中、なかなか大変だろうと思いますが、よくこういう小さな仕事を断らずにやったと思います。少ない原稿料にもかかわらず、できる限り自分にくる仕事は引き受けたのは、そうやってやってきたことが自分の糧になったことが多かったからではないかと思います。また、やるやらないと迷う時間があればなんでもやってしまった方が早い、ということもあったかもしれません。日本舞踊の事について書いています。
1986年4月四国金丸座「こんぴら歌舞伎大芝居」プログラム。この時は第二回。吉右衛門の長兵衛、勘九郎の水野、澤村藤十郎のお時という配役。この三人がこんぴら歌舞伎のスタートメンバーでした。今年で38回目を数えるこんぴら歌舞伎もこの時はまだたった3日間の公演でした。この時はほかに、『闇梅百物語』を上演しました。
1986年6月、第28回国立劇場歌舞伎鑑賞教室『義経千本桜』プログラムに。この時は、岩井半四郎による解説があり、そのあと吉右衛門の忠信、時蔵の静御前、歌昇の義経による「四の切」。
同年7月同じく国立劇場で第29回歌舞伎鑑賞教室プログラムに。菊五郎の忠兵衛、浩太郎(現在の扇雀)による『恋飛脚大和往来』(封印切・新町井筒屋)の上演。菊五郎の忠兵衛…。観てみたいレアな舞台です。
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