繁俊の日記から⑧/太平洋戦争最後の半年/昭和20年7月の記録
7月4日
0時30分位空襲、但しP51約120機にて、霞ヶ浦、千葉あたりを攻撃して退去。
7月16日
7月18日
○
ウトウトしたらすぐに目が覚めた。
あぶない!これで眠ったら
風邪をひくことは受け合いだ
大変だというので、コトコトと歩く
いぎたなく、死体のようになりて
皆ねている
待合室の中にもねている
外にもねている
階段の下にもねている
焼け出された時持ち出した
と思われる布団の上にねている
荷物を抱えて顔を埋めている
電車で声をかけられた
前進座の中村進五郎くんも
ねている
今のサキまで私のとなりにいたと思ったら
ゴロッと勇敢にも
階段の下にねている
俊雄もねている
私はずっと東のはしの
昔の物売り台の上にのぼる
丁度仰向けになっていられる
そこで一中節をうなっている
黒髪の一節を何遍も何遍も
くり返している
1時、2時、3時、4時、
4時過ぎには東が白んできた
追々に白らむのをジッと眺めたのは
これが初めてくらいなものだ
3月10日の空襲の火事を
思い出した、丁度
あの時のように、赤るくなり出すのだ
☆註 一中節「黒髪」
黒髪の結ばれたる 思いをば
とけて寝た夜の 枕こそ
ひとり寝る夜の あだ枕
袖は片敷く(かたしく) 妻じゃというて
愚痴な女子の 心と知らず
しんと更けたる 鐘の声
昨夜(ゆうべ)の夢の 今朝覚めて
ゆかし懐かし やるせなや
積もると知らで 積もる白雪
(恋した男と別れたやるせないひとり寝、懐かしい夢を見たが、それはもう昔のこと、黒髪もしらぬまに今は白くなっている) 作詞者は一説に蓮如上人
○
汽車はガラアキだ、2等も3等も
2等には及ばない!
入るとすぐにグウグウとねる
駅をあまりわからぬくらいにねる
○
甲府の手前、酒折あたりから
どれもどれも2町四方位づつだ
それが甲府の町になると
ベタ一面に焼けている
ここにもヤケトタン、ヤケたキカイ
東京と同じ焼原になっている、
○
7月19日
○午前10時40分頃に下諏訪駅着、重いリュックを皆背負って町を歩きはじめた。3町ほど行きてトコロテンを食べさせた、木庭大学院の学生も同行。
○やがて諏訪神社のところから山へ上る、爪先上りはやがて胸付きのようなところも少しずつある。日盛りで珍しい天気、汗が久しぶりでムチャクチャに出た。
○12時ちょっと過ぎ位に、神の湯の石段を登りきる。汗ビッショリ、よくリックを背負ってこられた。
汚い柱、チャチな床、
やぶれたフスマ
ハゲチョロケの壁
腰張りのない砂壁
ウスギタない6畳の間
いつ掃いたのかしら
○
五六町先きに小山がある
その左側に村落が
霧ヶ峰はその上にひろがっている
ウグイス
ホトトギス
閑古鳥
クイナ
その外の小鳥の合奏
渓流のせせらぎ
○
何段も何段も、
ガタガタという廊下
エンガワを通って
下の湯ぶねに行く
霊鉱泉を沸かした湯
石鹸は使わぬ決めだから
どうやらタスカル
四尺に五尺位の浴槽
木製の
男も女もザブザブと混浴
4人しか入りはしない
○
すぐ向こうから礦泉が
竹の樋(とい)からシャーシャーと落ちている
茶碗があってそれをのむ
確かに相当に渋味がある
ききそうな気もする
☆ 註 19日福井空襲死者1576人
千葉銚子空襲死者1181人
7月22日
今朝ようやく朝日を拝した、梅雨のジメジメとして薄ら寒い日がつづいた。19、20、21日といるのだが、警戒警報が1度だけ出た。12時のラジオで、Bが来たことなど報じているが、それが重なって聞こえている。これは便利だ、普通の報道がちゃんと聞こえていて、その中へブザーが入り、警報の情報が聞こえる。どっちも相殺されるが、聞こえぬ事は無い、要点だけはわかるのだ。
清澄な空気、セキレイも聞こえる、小鳥の名を一々知りたい。
○
お百姓が入りに来ている
ききますかと言えば
ただにやにやと笑う
あったまると筋がゆるむのだ
そこで来るものらしい
雨が降ると筋を緩めに
来るのだ
追記
7月17日に兵器行政本部補給部の田中少尉がまた見えて、一応また我が家の部屋を見て、結局少将(部長)と中佐(課長)とか2人の宿舎に当てることになったと言う。すると(☆成城町の)馬場町会長のところにいた少将が来るのかと考えられる。
そうして、1尺(約30cm)に5尺( 1.5m)位の紙に「陸軍兵器行政本部宿舎」と大書したのを張ってくれとビョーを4本置いていったという。ハッキリと取り決めもせぬうちに、軍と言うものは仕様のないものだ。
一切は印南くんに交渉を頼むこととする、ああ思うようにいかないものだ。
☆註 庭の斜面を要塞にして、大砲や兵器、馬具などを入れておく横穴を掘り進め、野砲5門が既に林の中に置かれている。
そして陸軍の少将と少佐が家の部屋を宿舎にすると言う。すべて有無を言わせず、取り決めもせず、決められていきます。終戦までの間、陸軍の軍人が行政本部宿舎として寝泊まりしたようです。
長野の山奥で繁俊は3日間にただ1度だけ警戒警報を聞きます。つかの間の自然の中で、「小鳥の名を一々知りたい」とつぶやきます。
《続く》
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