繁俊の日記から⑦/太平洋戦争最後の半年/昭和20年6月の記録
6月1日
吉村三五郎氏の話によれば、横浜には毒ガスを散布せり、そのために死者多数なりと聞くとあり。如何や、
○宣伝ビラはだいぶ効き目ありしようなり。
○4、5日前より庭の下段に野砲5門を持ち来たり、林の中に入れてある。少々気味悪し。
その話に、焼夷弾がしきりに落ちるので、皆家の中にて注意していたが、火事が四方に出たので避難しようと、母、妻を連れて出たが、またもや激しく落ちる。危ない、危ないと軒下に母妻の2人を抱えるようにしておりしに、1弾頭上に落下して倒れたとある。鉄カブトも割れて1時間ほど呼吸ありしが死去するとある。まことに気の毒なり。妻君の話にては、ある人兜凹みしと言うがそれも死せし由。まことにきけん!
6月11日
P 51 戦闘機 6 、70機来たり、京浜西部、八王子付近に来る、
1両日後、高勢氏の話によれば、一機低空にて来たと見る間に東方に行き、バラバラと機銃掃射をして西方に転回した。味方機後より追い行く由。
☆註 牧野良三は国家総動員法を違憲と主張した大正昭和期の政治家、国立劇場設立の件で繁俊とは既知のなか
6月16日
☆註 6月17日、鹿児島空襲死者およそ3300人以上
6月18日、浜松空襲死者1717人
6月19日、福岡大空襲死者約1000人
6月19日、静岡大空襲死者1952人
6月20日
#Bを待つ乱雲の端の月凄し
探照燈の一時に消ゆる
世におそろしきBの目標
この夜には、静岡と同時に、豊橋、福岡もやったとある、鹿児島、四日市、浜松もやられ、東京、横浜、大阪、神戸、廣島、その他、追々中都市に及ぼすを見る。
6月22日
☆註 広島、呉空襲死者およそ1600人
6月23日
☆註 沖縄での組織的戦闘が終わる
6月24日
○宮城は、実にムザンにやられし由、軍隊が今以て100人ほどづつにて片付けに行っている由、
○
ヤケトタンがカラカラ、カサカサと
年若な夫婦が
トボトボとアスファルトの道を歩きつづける
2人とも相当のカサの荷物をしょっている
多分2、 3日前のにやけ出されたのだろう
男は、ジッと地べたを見つめたまま
女も無表情で、時々道行く人を見る
男もためいきをはいて正面をきる
何を考えているのだろう
職場の事か
食料のことか
今晩のトマリの事か
ソカイ先の事でもあるか
大きな消耗よ
気の毒とも何とも
そういう人々を沢山に見かける
疲れた人が疲れたヒトを
カタコトと下駄の音をさせて
ひいて行く
サミダレの中を
○
リヤカーに一ぱい夜具や
家財をつんで
若き息子と見えるが曳く
おやじみたいなのがツナをつけたのを曳く
細君らしいのが後押しだ
足取りもそろわず
息子は足元ばかり見て
大事をとって曵いている
細君は男の通りだ
おしりが大きいだけだ
これも市中の中を目がけて行くのだ
ヤケトタンのササヤカな家へ行くのかしら
○
あのヤケトタンの犬小屋にも
劣ったような小屋
どんなのでも坪千円だという
ちょっとしたのは一万円かかるそうだ
これが一体どうなって行くのだろう
○
谷を控えた小高い丘という丘を占領している
立ち入り禁止の札が立っている
壕舎を作り
毛布をツナにかけて干している
あれは兵舎であって、
又陣地になるに違いない
戦場化は
静かに、速やかに近寄りつつある
コンクリートの塀も頼みに
するらしい
○
黒くフスボレた幹の
土に近いところから
若葉をつけた芽が3寸も
伸びている
○
それが黒いのだ
ふすぼれた黒い、葉のない
幹と枝が太古の姿を
ただよわして立っている
戦災地の夕方
犬の声も聞こえない
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