鶴岡八幡宮ぼんぼり祭り かえるの献灯画 1997年〜2012年

鎌倉の鶴岡八幡宮では、毎年8月はじめの立秋の翌日、今年は6日から9日までの四日間、ぼんぼり祭りがあります。 
当時、鎌倉の隣の逗子に住んでいたので、1997年に八幡様からぼんぼりの献画を頼まれました。画家ではないので戯画でよろしければということで、結局なくなる前の年まで楽しんで描かせていただきました。大好きなカエルたちの絵です。

今からもう27年も前になりますが、つい昨日のような気がします。
 
光化学スモックに追われてとは言え、東京から逗子に越す時にはせっかくだから、週末には鎌倉の神社仏閣巡りをしようと言っていましたが、娯楽と言えば、家での刺身作り、包丁研ぎ位で、あとはほとんど芝居や執筆、外国公演などで寸暇なく、あまり行ったことがありませんでした。
このぼんぼり祭りのおかげで、鎌倉八幡宮にだけは、毎年夕方のまだ明るいうちに行って、写真を撮ったり、灯火がはいった絵の様子などを見届けて帰りました。 
暗くなった境内に、巫女さんたちがぼんぼりに灯火を入れて行くと、一気に幻想的な世界になります。人々のさざめきと砂利を踏む音と、浮かんでいるようなたくさんのぼんぼり。神様が降りてきているようでした。

この絵だけは、主人公がカエルではなく江ノ島の弁財天で、灯火が入るととてもきれいでした。蛙は脇役です。
なんだかよくわかりません(笑)。気球に乗っているのはだれ?
この絵には登志夫の大好きな飛行船が浮かんでいますが、外国語が書いてあって、何か秘密の言葉かもしれません。
ヨーロッパによくある蛙の王子様になったようです。
この年はまた逗子の海岸でほろ酔い気分です。また好きな気球が飛んでいます。海に蓮の花がたくさんあるのがおかしい。極楽なんでしょうかね。ビールだけはいつもはなしません!
黙阿弥は江戸の作者でしたが、幕府の取り締まりが厳しくて、舞台を江戸から鎌倉に移して書かれた芝居が結構あります。「白浪五人男」の勢揃いは、隅田川を鎌倉の稲瀬川に移しています。これは「浜松屋の場」での盗賊の1人、江ノ島岩本院の稚児上り、弁天小僧菊之助のセリフです。
Yahooで「知らざぁいってきかせやしょう」を検索すると、男性合唱、ラップバージョンなどもあり面白いです。
これは書斎の窓から見える景色。窓際で次女にもらった小さい植物を育てていましたが、ひょろひょろに伸びてしまったのを面白がってここに描いています。
自分は歳をとっても枯れずに、いつまでも色即是色で生きると言っていましたが、❓と❤️がいっぱいです。
これは夜、灯が入り、ちょうどお腹のところがほんのり明るくなってぴったりでした。
これも?だらけですが、解説を聞いた覚えがありません。
富士山が噴火して、気球も、大好きな恐竜も、パートナーのカエルも本人も?だらけです。なんなんでしょう? 
何かいいことがあったんでしょうか。これは吹っ切れてます。水中のカエルが1匹❗️マークです!
この年、脊椎管狭窄の治療通院のために大川端に事務所を設けて、隅田川を眺める生活になりました。絵の景色も変わります。
川には屋形船、ビルの上には、ヘリコプター、心の中には書斎からの江ノ島の海と富士山。
家族5人の遥か昔の海水浴が静かに描かれています。懐かしい汐風。
大川端のマンションから見えるスカイツリーの向こうに見える、もう帰れないかもしれない書斎からの海。
平和な夏の日の思い出、小さいカエルは孫かえる?
酔生夢死に憧れていました。温顔の陰に野生を矯めて、たゆまぬ克己の一生のように私には見えました。やっとこの世のすべてから解き放たれて、大空の中にふわふわと浮いて、1人静かに良い気持ちで、深い眠りに落ちるのでしょう。この絵は私も大好きです。
この絵を描いて、1年後、眠るように亡くなりました。88年の人生でした。
長い間楽しい絵を書かせていただいて、八幡様に感謝です。(良)

河竹登志夫 OFFICIAL SITE

演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)