切抜帳17より④銀座百点句会など
年末恒例「銀座百点句会」。1984年の年末。登志夫はいくつになっても恋したいタイプだったからかどうかわかりませんが、俳句にもけっこうロマンティックで感傷的なものがあります。
「人恋ふる 夜の雨戸うつ みぞれ哉」
「みぞれ打つ 窓に残りし 指のあと」
「まゆ玉に 夢訪う人や 京の宿」
登志夫は句会でいつもビリから二番目だと苦笑していましたが、本業ではないので、楽しんでいました。
「TBS調査情報」1月号。「近代劇は近松によって準備された」。今年は近松歿後300年にあたります。来月は歌舞伎座で「歿後三百年」として「合邦」が上演されます。もっとまるごと近松通し上演など、イベントっぽく興行されてもいいような…。
「寿」二月号に、「滞在日記」として、ウィーンに次女・三女と三人で半年滞在した時のことを話しています。
「日記って、大げさに言えば、自分の生きていることの証しのようなものかも」と言ってますが、「生きていたこと」ではなく「生きていること」なので、登志夫にとって日記は、自分の死後読んでもらいたいものではなく、自分のためのもの、ということでしょう。
サンケイ新聞1月5日。「好きなことば」欄に、「化々即生々」という言葉を。これは関東大震災で多くを失った繁俊に、師・逍遙が描いてくれたフェニックスの絵の横に書いた言葉。「人生一日も止まらず、何が起こるかわからない。流転の中にひそむ生成への転機」。この額はいま、次女が持っています。「嫌いなことば」に、「通」をあげています。そういえば登志夫はよく、業界用語のようなものを使うなと言っていました。気取って通ぶったしゃべり方を嫌っていました。
「グラフNHK」2月号。NHKラジオに出演した際に話したことの採録ということです。
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