切抜帳17より②包丁と料理と好きな店

「週刊朝日」の「二人で食事」欄。葉山のラ・マーレで。結婚21年の登志夫と良子。

日経新聞1月25日。これは登志夫の書いたものではありません。中里恒子さんの連載「日常茶飯」の一回。「お招ばれ」という見出しで俳優の山本學さん、高橋昌也さん、藤村志保さんと共に中里さんをご招待した夜のことが書かれています。半分近くは登志夫の作ったその日のメニュー書き。中里さんは逗子にお住まいのご縁もありました。夜中過ぎまで宴が続いたようで、氏は、準備や後片付けでさぞ登志夫良子がくたびれているとご心配されたようですが、不思議にふたりともお招きして笑って過ごすひとときが本当に楽しかったようで、疲れた顔は全くしていませんでした。

週刊新潮の「料理」欄に。ここでは近所の奥様達を招いた日のメニューが書いてあります。

「月刊ロアジール」に。この雑誌は余暇開発センターというところが作っていた月刊誌のようです。NHKの「レッツダンス」という番組に夫婦で出演した話です。登志夫のダンスは戦後すぐにおぼえて女性を誘って仲良くなるためのもの(?)で、以降更新しませんでしたが、良子は自分でレッスンに通い、発表会のようなところで披露するためのダンスでしたから、だんだん良子の方が進化していきました。そこらへんのこともぼやき風に書いてあります。

「現代」5月号。撮影用に、書斎の文机に包丁をセットしています。

「Congress Convention 」という季刊誌におすすめのお店を紹介。国立劇場の仕事の打ち上げで当時の尾上松緑さんらと訪れた店ということで、みやらびという九段にある琉球料理の店を紹介しています。どうせもうないだろうと、検索してみたら、今もまだ営業していました。たぶん当時は料亭づくりの一軒家、いまはビルの一階になっている感じです。国立劇場の御用達のお店だったのでしょう。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)