切抜帳16より①趣味/料理・酒・寿司・将棋・逗子の魚・ダンスなど

切抜帳16は、1984年、登志夫が59歳の頃のもの。この1年の切抜は、料理のことでの記事が本業より多いくらい…。

この、週刊現代のかぶら鍋は、うちでは作ってもらった記憶はありません。登志夫が亡くなった時の文藝春秋の「蓋棺録」に、この鍋が登志夫の得意料理で、自宅でよく振る舞ったと書いてありましたが、登志夫をよく知らない記者さんが、この記事を見つけて書いたんだなと、この記事に遭遇してわかりました笑。それにしても美味しそう!取材のために、お料理屋さんに教わったのかも。逗子の家の一室によく似ていますが、厨房が違うし、服装もよそ行き。どこかのお店を、撮影に借りたようです。

「オール生活」という媒体、「あの日あの美酒」に「青春とカストリ」。歌会始に参列したということは、他にはあまり書いていません。

「男子厨房に入ろう!!」は、男子厨房に入ろう会という団体の会報のようで、ここでは登志夫の早大時代の同級生中村会長と対談しています。芝居の中の食事シーンのことから、趣味の包丁研ぎ、ウィーンでの弁当作りのことなど、会話が弾んでおり、一緒のテーブルにいて聞いているような気分になります。

サンケイ新聞「将棋と私」。好きだった将棋の話。ここに出てくる十二代目團十郎さんとは、一度か二度か、将棋をご一緒したことがありました。怪しい詰将棋でお金をすった話が書いてありますが、登志夫の戦後のこういう話は当時のかんじが伝わってきてとても面白いのです。

朝日新聞に夫婦で登場。戦後、ダンスと出会って夢中になったことや、その後ウィーンで踊ったことなど、写真は逗子の家の一室で踊るポーズの登志夫と良子。

「婦人公論」8月号、「私の得意料理」。是真の磯の浪柄の生地で作った甚平でカツオを手に笑顔の登志夫。逗子の台所。

次のページは着替えて実食の登志夫と良子。庭がよく写るように、テーブルを窓側にずいぶん移動させて。

そして出来上がりの刺身。当時はそれほどありがたみを感じませんでしたが、なんとすばらしい出来。もっともっと褒めてあげたらよかったと思います。

朝日新聞にとてもシンプルな「アジどんぶり」。逗子の家の台所にて。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)