5月6日、登志夫没後11年。

2013年5月6日、登志夫が去ってからもう11年になります。

1979年55歳頃、日本女子大で。
1984年60歳、主婦の友社で。
1990年頃、66歳頃、自宅で。相沢實氏撮影。
2000年76歳 自宅で。相沢實氏撮影。
2002年78歳、自宅で。産経新聞掲載。

つつじが咲き、隅田川では早慶レガッタが行われ、そんな11年前の連休中、家族は毎日代わる代わる広尾の日赤に、今生の別れのつもりで見舞いに通いました。

3月末に歌舞伎座新開場の顔寄手打ち式での読み上げを済ませ、力尽きたようにどんどん弱ってしまいました。内臓は悪くなかったのに、おそらく病院で腰の膿を切開して取った際の術後の感染症だったのでしょう。

病院に入ってしまえば、まな板の上の鯉。医師たちの人間味のない態度や言葉にたびたび接し、この人たちには家族がいるのか、と疑ったものです。しかし、よほど恵まれた場合を除けば、遺されたもの皆が幸せで納得できる死別はない、これも寿命とあきらめました。88歳、天寿を全うされましたね、と人からは言われても、あの手術をしなければ、効果のある薬があったら、と様々に悔やまれました。

脊柱管狭窄症に悩まされた晩年、それでも治してもう一度新宿や銀座を介護者なしに自由に飲んで歩きたいし、本業以外のテーマで仕事もしたいと、果敢に闘いました。体の痛みに、「ちょっと長く生きすぎたよ」と弱音を言うこともありましたが、治ろう、もっと生きようとしていた姿は、これから同じように死を迎えることになる家族の勇気にもなるのです。

毎年、あたたかく、つつじの甘い香りが漂ってくるこの季節になると、そんな悲喜こもごもを思い返します。


今日は墓参りに。いつもは樒の葉を置くだけですが、一緒に墓参した人が持ってきてくれたのでありがたくお花をお供え。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)