切抜帳15より③公演プログラムなど。黙阿弥の小悪党たち 子供歌舞伎教室30年、他

登志夫は生涯、本当にたくさんの劇場の公演プログラムに寄稿しました。

1983年2月、京都南座若山富三郎特別公演プログラム。黙阿弥の『加賀鳶』を原作としたお芝居上演にあたって。


次は、プログラムではないですが、「都民劇場」2月10日号。昭和27年に東京都教育委員会と都民劇場が共催で始まった、歌舞伎座の公演前、子供のために開催され、また、若手の俳優やスタッフの勉強の場としての役割もあった子供歌舞伎教室が30年を迎えた記事。式典の様子や、登志夫の寄稿。昭和27年の最初から繁俊が解説役を引き受け、その後は登志夫も長いこと解説役をしました。今は国立劇場の鑑賞教室などでは、解説もショーのように若手俳優さんが受け持ったりして、上手にお客さんを引きこんでいます。登志夫も、国立の鑑賞教室の監修をずっとお受けしていましたが、俳優さんのうまさにはとても感心していました。

2月の紀伊国屋ホール「ザ・ヤクザ・ミュージカル上州乱気流」への寄稿。

国立劇場演芸場3月プログラムへ、「浪花節と私」。登志夫はうちでよく、ここにも書いている「唄入り観音経」をうなっていました。「遠くち~らあちら、あかりが揺れえるううう」というはじまりで、「雁がなくうううううううう」というあたりが面白く、子供はよく真似して笑ったものです。そういえば、最後の入院のときにも、youtubuで何か聞きたい?と尋ねたら、この曲をリクエストされ、聞かせたのも忘れられません。登志夫は歌が好きでした。

国立劇場3月「島鵆月白浪」プログラム。登志夫はスタッフとして補綴しています。今の菊五郎、亡くなった團十郎、梅幸、羽左衛門、権十郎、三津五郎さんら菊五郎劇団での上演でした。

歌舞伎座4月に「小悪党の世界」というタイトルで。「髪結新三」上演時の寄稿。新三は亡くなった初代辰之助。

右は舞踊会・松島会(国立劇場)プログラムへ。見開きの左は守随憲治氏葬儀への弔辞。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)