切抜帳14より②エッセイ、銀座百点など…

月刊「ダイヤモンド・ボックス」1982年2月号。このいまはない雑誌、どんな雑誌だったか検索してみると…ダイヤモンド社から刊行され、1980年から1992年まで存在し、「発想法や情報処理ツールの選び方などを主に扱うビジネス誌として独自性が高かった」とのこと。この雑誌発行の翌年、小泉文夫氏は56歳で亡くなっています。小泉氏が「私を刺激する11人」という企画で、そのひとりに登志夫を選んでおられます。理由は、「音楽と関連がある演劇についていろいろ刺戟的な教えをいただきます。河竹さんは、自分で料理をしたり、包丁を研いだりするんです。そんな趣味の広さも学びたいところです。ともかく、河竹さんは比較演劇の第一人者です」。

登志夫も、赤で囲った欄に、小泉氏の魅力や、氏と自分の研究の共通点について述べています。


こちらは今も存在する女性雑誌「ミセス」。事典・辞典の紹介ですね。


「実業の日本」薫風特大号。特別企画/とっておきの話題集・常識のウソ。能は観世父子の当時はもっとテンポが速く、上演時間が短かったこと、歌舞伎についても同じだと、よく話していたことをここに書いています。

こちらも上と同じ雑誌、「同じ舞台上の殺人でこの東西差」。舞台上で俳優を殺した見物人はアメリカと日本でどのような扱いを受けたか、、というお話。


神奈川県の演劇脚本コンクールの募集チラシへの言葉。


「週刊文春」私の好きなジョーク。似顔絵が似ています。この内容、面白いのかわかりませんが…。


「地酒と肴」。質問は書いてありませんが、推測すると、Aは、最近おいしかった酒、Bは好きな肴、Cは一日どのくらい飲むか。Dは二日酔の翌朝何を食べるか、Eは嫌いなシチュエーション…といったところでしょうか。


「FIMAT同窓会誌」に、「秋のサクラ」。この年、異常気象で桜が10月に咲いていると書いていますし、翌年富士山が爆発すると言われていたとか。すべてが平均値の年はないのでしょうけれど、今年はどんな気象になるのだか…。


こちらは亡くなるまでずっと参加していた銀座百点の年末の恒例「百点句会」。食いしん坊な登志夫は毎回竹葉亭の鰻も楽しみにしていました。結果はいつもビリに近いと苦笑いしていましたが…。


読売新聞1983年2月5日夕刊。「吹き替えは映画を殺す」。「望郷」のラストシーンのジャン・ギャバンの叫び声のことからはじめ、この記事の前年のアメリカ公演でかのフォービアン・バワーズ氏がイヤホンで字幕的な解説を行ったことが大変有益だったことを書いています。今は紙のプログラムより人気があるかもしれないイヤホンガイドですが、始まった当時はずいぶん批判や反対がありました。登志夫はたしか、最初の内から反対派ではなかったと思います。それは、翻訳ではなく、ちゃんと演者の台詞を聞かせるからです。台詞にずっとかぶった過剰なイヤホンガイドは困りますが、最近はそういうことも少ないと思います。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)