切抜帳13より⑦ 雑誌など 

1981年10月号「銀座百点」。文化交流と歌舞伎~外人はどこまで理解できるか、というテーマ。林健太郎氏(国際交流基金理事長)、永山雅啓氏(永山武臣・松竹副社長)、上林吾郎氏(文藝春秋専務)。ロンドンで「大日本展」が開かれるにあたって、歌舞伎公演も行われるということで、これまでの海外公演で成功した公演のことや、お金のことなども話しています。


1982年1月号「ジュノン」の日記特集に。娘ふたりを連れてウィーンで生活した時の日記やスケッチブックを掲載しています。改めて登志夫のこの手帳兼日記を開くと、一足先にウィーンにわたり、娘たちを受け入れるために日本人学校に行って相談したり、住む場所のことからなにから、本当に奮闘していたことがわかります。娘たちが着いてからも、数か月は自分の勉強はなにもできていない、と書いてありました。いまも娘たちは、登志夫の作ったお弁当のことや、毎晩自室で机に向かっていた父親の背中をよく覚えています。

「文芸家協会ニュース」に、「これは困った」というエッセイ。固有名詞などのルビのことはよく話していましたが、黙阿弥の「三人吉三」などは、歌舞伎の関係者でもさんにんきちざと読む人が案外いて、驚きますが、一度おぼえたつもりでも、あとでどっちだったっけ?と迷うことは結構ありますので、そんなに鬼の首を取ったように責める必要はありませんが、どっちだっけ?と常に確認することは大事なのかと思います。ここに書いてある「東京日新聞」のことも…。つい直してしまいそうです。それに、校正の時に勝手に署名原稿の文章を平板に直してしまうことも、ありがちです。わざわざ平仮名で書くことのニュアンスなど、表記の統一もどこまで許されるのか考えてしまう内容です。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)