切抜帳12より④「作者の家」受賞の頃

登志夫の生涯の仕事の中で、ひとつのピークと言える著作「作者の家」。この本は、読売文学賞と毎日出版文化賞をダブル受賞することになりました。

こちらは刊行前、昭和55年夏に逗子の家の庭で。東京新聞の取材を受けて。登志夫のうしろに写っているのは、披露山公園の展望台。「作者の家」刊行になる8月20日を前に、すがすがしい笑顔。

こちらは「作者の家」刊行後の年末に書いた小文。この時すでに毎日出版文化賞を受賞して、版を重ねています。この年末には初の随筆集「幕間のひととき」も出版。出版業界がとても元気があったころの話です。NHKでのテレビ大学講座も毎週放送があり、忙しく仕事していました。

「中央公論」四月号。「私の書斎」。いい姿勢で逗子の家の一番景色のいい二階の一角にある畳の上に座っています。ここで「作者の家」を書いていたのですから、この頃は正座のほうが楽だったのでしょう。

これは同じ中央公論。うちのカエルと、広告のウィスキー。。

そして中央公論、見開きでさらに書斎。この写真には写らないもっと右手に、最初の畳の一角がありました。ここにもわざとらしくウィスキーの瓶が写り込んでいますが、実際は書斎でお酒を飲むことはありませんでした。本もたくさんありますが、このほかに、二部屋、書庫がありました。

早大生協の印刷物「ほんだな」で、「自著を語る」。ここでは、「作者の家」が毎日出版文化賞と読売文学賞を受賞したこと、ラジオドラマ化もされ、さらにはテレビドラマ化もされるかも、と書いています。実際、テレビドラマ化の話はかなり具体的でしたが、担当の熱心だった方が、異動だかで、実現しなかったそうです。朝の連続テレビ小説にぴったりの素材だと思いますので、いつか実現する日を夢見て…。舞台としては、湊座の「糸女」が何度か上演されました。先日の齋藤雅文さんの脚本・演出の舞台「糸桜」は、登志夫没後の初演でした、これからも色々な形で後の世の人の目に触れれば登志夫も、御先祖も幸せでしょう。

余談ですが、登志夫が入れた赤字の部分、文字の形は似ていても、こうなるとまったく意味不明になってしまいます。

これが読売文学賞の発表の記事。

こちらも受賞の関連で。冒頭、家にあった葛籠のことが書いてありますが、これはいま、早稲田の演劇博物館「河竹黙阿弥展」に展示されています。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)