切抜帳12より③サンケイ新聞「師友」三島由紀夫、吉原で100円もらった話、他
1980年サンケイ新聞の「師友」という欄への5回の連載。
①三島由紀夫氏、②新関良三先生、③菊池秀三君、④ハインツ・キンダーマン博士、⑤久保亮五先輩
の5人を取り上げています。
「小説春秋」1980年7月5日号。「吉原で百円もらった話」。このエッセイ、おもしろくて好きです。タイトルそのまま、酔って吉原にたどりつき、商売の女性から交通費の100円をめぐんでもらったという、歌舞伎座でやっている「一本刀土俵入」をちょっと思い出すような、一夜の夢のようなお話。これは、単行本「幕間のひととき」に収録しています。
「大川の水音」は、都民劇場の会報への寄稿。9月20日号。
こちらは信濃毎日新聞に。「信州と私」。父の繁俊がなくなって13年が経ったときの寄稿です。登志夫は繁俊をとても好きでした。河竹家に入って苦労し、糸女、逍遙に仕え、看取り、病弱の妻みつや子供たちの看病もしました。たくさんの時間を他者のために使いながらも、すごい量の仕事もしました。家を継ぐために河竹家に入ったのだから、という気持ちで、糸女が亡くなっても、「こうしちゃいられない」を口癖に走り続けた一生でした。登志夫も、その姿を見て育ち、それを追い越さなくてはいけないと自分に言い聞かせて最後まで気持ちを緩ませることがありませんでした。お金儲けにも縁のない人生…(笑)。安い原稿料の仕事を断らず、そんなに売れない演劇・歌舞伎の本を書き続けました。仕事も縁、と考え、自分が頼まれる仕事は手抜きすることは決してありませんでした。黙阿弥関係の寄稿など、何度も同じテーマで依頼されましたが、毎回変化させていました。すべて、繁俊と重なります。
ちなみに、プロの物書きの鉄則として、
「締切を守る。文字数を守る。頼まれた内容を書く。」
この三つを最低限かつ、最も大切にしていました。原稿を頼む立場から言うと、これを全部守らない執筆者がいかに多いことか(笑)!
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