切抜帳11より⑤滞欧日記から/6回目~10回目ウィーンのお彼岸

6回目は「ウィーンのお彼岸」。映画「第三の男」のラストシーンでも有名な中央墓地へ登志夫と娘が3人で行った話。

次女はそれから39年後の2017年に夫婦で再び訪れました。9月でしたから、まだ晩夏の感じで、ウィーン名物焼き栗の出店は出ていませんでした。

7回目は、子供たちとザルツブルクへ。車窓から見えた牛の姿に興奮する娘たち。それにちなんで、登志夫は東京大空襲の直後、次の火災に備えて大荷物を作り、信州にそれを避難させるため、成城から渋谷まで牛の荷車で運んだという思いでを娘に語っています。しかし娘たちには東京大空襲の話はあまりにも昔に思え、実感できなかったようです……。

こちらはザルツブルグの名物「ザルツブルガーノッケルン」。先日表参道のウィーン料理店「カフェ・ラントマン」でいただいたもの。この旅行の時にも、父娘で食べました。それは娘たち、記憶しています。

このお菓子のことは、後年、日経新聞で「包丁のある書斎」を連載した際に「うたかたの菓子」というタイトルで書いています。(この連載は単行本になっています、下の写真は単行本から)。

この本にもあるように、ぐずぐずしていると冷めて、無惨な姿になるようですが、大人の女三人で、あっという間に平らげたので、最後までおいしくいただきました。下の写真は、メランジェ。ウィーンのカフェラテです。

シェーンブルンにある動物園のこと。

こちらは動物園に行った日、シェーンブルンにて、リスに喜ぶ子供たち。

登志夫はウィーン滞在中コペンハーゲンに講義に行きました。2週間、預けるあてもないので、連れて行きます。その時の寒さが大変なものだったと書いています。この時、娘たちが印象に残っているのは凍った海の灰色と、日本大使の公邸にうかがい、大人は別室で晩餐、子供たちは厨房で、揚げたての天ぷらや立派なイチゴをたくさん食べさせてもらったことです。滞在中は、登志夫がいない間は日本人の親切な男性が世話してくれ、観光もさせてもらいました。


そして、デンマークといえばハムレット。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)