切抜帳11より④滞欧日記から/1回目~5回目 静かなウィーン
登志夫が53歳~54歳にかけて、娘と三人で滞在したウィーンでの暮らしのことを、帰国直後から産経新聞に「滞欧日記から」という題名で、15回にわたって連載しました。この連載は、後に単行本「酒は道づれ」に収録されています。
初回は「人生の幕あい~静かなウィーンの半年」。情報過多の日本を離れての、テレビも新聞もない暮らし。それが平和だったと書いています。そして、「長い芝居には『幕あい』があるように人生にも幕あいが必要だとおもう。ひと息つきながらしばしわれに返って舞台のこしかたをふりかえり、次の幕への心の準備をする……人生のリズムといってもいい」と。
50代なかばの年代で、そういう時期が誰にもあるべきなのだな、と実感します。会社勤めをはじめると、定年までそんな幕間はなく、来し方行く末など考える余裕がありません。登志夫は仕事でウィーンへ行ったとしても、長い人生のいい時間だったようで、一緒に行った娘としてはほっとします。
二回目。「芸術家の名のある都~伝統文化へ高い関心」。ウィーンには音楽家や俳優、劇作家などの名のついた地名が多い、とスタート、日本にはそういう地名は少ないが、浅草に「黙阿弥横丁」という名をつけようとする動きがあり、期待している、と書いています。結局横丁の名前になってはいないと思いますが、そのあたりには「五人男」の等身大人形が作られて探しながら楽しんで歩くことができます。
三回目は「陸つづきの恐怖」。これは以前、このblogに上げましたが、隣国と陸続きのヨーロッパはずっと戦争が絶えず、下の記事に書いてあるように、この時もまだオーストリアは、10年間のソ連の占領下からまだ24年しかたっていない時期でした。
4回目は「外国人と歌舞伎」。この連載が、訪中公演、訪米公演があったので、これまでの登志夫の海外公演の経験から、「道成寺」よりドラマ性のある「忠臣蔵」が受けた話を書いています。
5回目は「空前絶後」として、前年9月から次女と三女ふたりを連れて三人で半年間暮らした空前絶後の経験について。よくやってくれたな、と次女は思っていますが、三女は自分が子育てと仕事の両立に大変苦心したため、「半年くらいなんだ、当たり前」という感想を、この話題が出るたびに登志夫にはっきり伝えていました。登志夫もたじたじでした。
(※後日このブログを読んだ三女、今思えば50代半ばでお父さんよくやってくれたね、生きている時言ってあげればよかった、と考え直していました)
この写真は、2018年9月、次女の夫婦がウィーンに旅行した際、住んでいた家を訪れた時のもの。二階の一番右の窓が子供たちの部屋、その横が登志夫の部屋、木で隠れていますが、その左はリビングダイニングがありました。
ダイニング。登志夫の作ったごはんを食べています。
ダイニングとつながったリビング。テレビも洗濯機も掃除機もありませんでした。
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