6月の黙阿弥作品/「児雷也」「三人吉三」

今月は歌舞伎座昼の部で「児雷也」、博多座では「三人吉三」を上演中。


三世歌川豊国画の「児雷也豪傑譚語」(じらいやごうけつものがたり)。

嘉永5(1852)年7月、初演の河原崎座での八代目市川団十郎の児雷也です。

30年前の平成4(1992)年は黙阿弥没後100年でした。
この年の11月に新橋演舞場で「児雷也」が上演され、筋書きに【「児雷也」と若き日の黙阿弥】と題して登志夫が書いています。

余談ですが、登志夫没後3年の2016年9月10日(土)から11月10日(木)まで、福島県立博物館で登志夫のカエルコレクション展が開かれました。登志夫は生前随筆の中で、「児雷也」のガマが欲しいと言っていました。物欲があまりなかった登志夫には珍しいことでしたので、これを機に望みを叶えてあげようと思いました。
これはコレクション展のポスターです。
生前親しくしていただいた藤浪小道具さんが、二つ返事で望みを叶えてくださいました。ガマは大きな段ボールに入って東京からやってきました。学芸員さん達と段ボールを開けて、ガマが出てきたときには皆さんから「オー!」と言う声が上がりました。目が怖いように生きていました。


隣の屏風が1.4メートルですから、ガマは1メートルくらいあるでしょう。説明書きには「歌舞伎の舞台、黙阿弥の「児雷也」や四代目鶴屋南北の「天竺徳兵衛」に使用される大ガマ。着ぐるみの中に入って舞台で大暴れ、超自然力を発揮します。「資料協力 藤浪小道具株式会社」とあります。

登志夫が1番喜んで、会期中はあちらの世界を抜け出して、カエルや大ガマとこの会場で過ごしたのではないでしょうか。(笑)

今月の歌舞伎座の「児雷也」の絵看板です。光の具合でよく写りませんでしたが、虹の上にガマがいます。

今月の「児雷也」は大変短く演出されていて、筋はなんだかわからないうちに、すごみのある煙の中からあの大ガマが出てきて独壇場の大活躍でした。着ぐるみの中に入っている方が見事で、飛んだり跳ねたり、その身体能力の高さにあっけにとられているうちに、ピョーン、ピョーンと高さと巾のあるかえる飛びがすごくて拍手喝采でした。幕が閉まってから、着ぐるみから顔をだしてもう一度拍手を浴びてもらいたいと思いました。

この日は「児雷也」にちなんで、カエルの刺繍の呂の帯、新潟の上布の着物にしました。根付けも柘植(つげ)の小ガエル。

この雨に降られているカエルの帯は、梅雨時けっこう出番が多い古いものです。
歌舞伎座からの帰り道、銀座4丁目の交差点の小さな花壇に、可愛いルリタマアザミとバレンギクが咲いていました。このアザミは大好きで絵に描いたこともあるので、銀座の真ん中で会えて幸せでした。久しぶりに元気な大ガマ君にも会えたし、、、
                    (良)

                    


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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)