昭和53年、歌舞伎オーストラリア公演の手帳より
シドニー到着後、23日のミーティングの内容が書いてあります。ほとんど切符が売り切れ、準備は明日からでもよし、記者会見は四人の俳優、清元、団長ら、河竹。その他取材のことなど……。
ミーティング後はリージェントシアターへ下見に行っています。
3/1の手帖には、観劇料のことや、子供歌舞伎の反応がよかったこと、「四の切」をみて、観客が笑うところやどよめくところをメモしています。右ページ下に、「包丁買う」とあります。
この包丁は、3/14に使っているようです。アデレードでの2日目、朝から市場で買い物し、調理。永山団長の部屋で、登志夫の刺身や潮汁で宴会をしました。
このとき、中村歌右衛門さんに差し入れしたことが書いてあります。「先生やめて料理屋になったら」と喜ばれたと。こちらには、「ことに汁がいい味。ショウガがよくきいて、すっぽんのようだった」と。この時のことは、後年もよく随筆などに書いたり、話したりしました。この時以降、海外公演で登志夫が現地のマーケットで調達した魚をさばいてみんなで楽しむようになったということです。
こちらは写真、学生がたくさん来たそうです。
空いた時間に観光する金井俊一郎氏、永山武臣団長、登志夫、市川医師。
領事館にご招待。歌右衛門さん、延若さん、梅玉さん、魁春さん、志寿太夫さん、竹柴正二さんなどの姿が見えます。
メルボルンの劇場支配人秘書のモーリーンと。毎回海外公演では現地の女性と知り合いになるわけですが、このモーリーンは、この度での一番の気になる女性だったようで、手帳にもたびたび登場。
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