カエルの家② 昭和50年頃/カエルが集まってきた…!

中学校の頃の自作のゴム判、かえるの顔にTKとあり、年を取っても時々使っていました。
こちらの写真の裏には、昭和13(1938)年 成城学園中学2年、早雲山遠足で蛙の真似をしたところと書いてあります。本当にカエルが好きで、登志夫がこんなおちゃめなポーズをしている写真は他にはありません。
いえ、そういえば70歳過ぎた頃に、孫と一緒に、このカエルのポーズをした写真があったような気がします。
こちらは、宮尾慈良氏からのバリ島のカエル。今は人気のリゾート地ですが、その頃バリ島は遠い存在で、大変珍しいところで、日本ではお目にかかったことがありませんでした。その島で黄色は大変高貴な色で、このカエルは神様のお使いで、格の高い蛙ですとおっしゃったように覚えています。いつもカエルを飾る棚の上段に置いていました。

このカエルのことを書いたもの。「サロン.デ.ジュゼー」(1976年7月号サロン.デ.ジュゼー社)という雑誌です。


この文章の最後の方、我が家の一番大きなカエルとして登場するのがこちらの写真のカエル。1971年には、既にこのコルゲンコーワのカエルが子供たちと一緒に成城の家の応接間にいます。40年以上家族と共に過ごしたことになります。
劇作家の野口達ニさんが玄関にこのカエルを運んできて下さった時、外は暗く、木陰のカエルを近眼の良子はてっきり「野口さんの坊や?」と思って、「今日はお子さんとご一緒ですか?」と真面目に聞きました。「やだなあ奥さん、また冗談を言って」と、カエルが中に運ばれて大笑いになりました。
こちらのカエルは…。

「1968年能の海外公演中に入手したメキシコ産が10個ばかりある。半透明の石のがきれいだが、丸い背中に鳥獣戯画そっくりのウサギや植物を描いた陶製のも面白い。色合いもアズキ色と紺ネズ、私の古い長襦袢(ながじゅばん)に似ている。メキシコは、感覚的に日本と共通なところがあるようだ。」(毎日新聞、1970年2月18日夕刊、茶の間欄)」

これは手触りも良くて、両手にすっぽり収まる位の大きさでとても気にいっていました。我が家の代表カエルの1つです。

横尾忠則さんのニューヨークからのお土産の、石を2つ重ね合わせた愛らしくユニークなカエル。
これが横尾さんからのはじめてのもので、登志夫が亡くなるまで、いろいろなところからの珍しいカエルを送ってくださいました。
良子の作った刺繍のカエル。

1977年10月の週刊文春の趣味欄。横尾さんや良子のカエルのことを書いています。この記事の写真で、逗子の家の応接間に飾っている裸婦のパネルは、横尾さんの作品でした。

ここから下の写真はアットランダムにお目にかけます。
インドネシア方面のカエルたち。
イタリアのブランコに乗ったおばあさんカエル。お嬢さんカエルかも。御家流香道の故・三條西古都先生からのイタリア土産。ご一緒できなかったお香の旅行には、心のこもったカエルのお土産をいただきました。登志夫だけでなく、良子の知人もみんなカエルのお土産をくださるようになりました。
'06 古都先生より イタリアのワインのコルク栓
'08 古都先生 京都のカエルです。
'08年 古都先生より 出べそカエル
下、左2個(体?)は登志夫(ビールと本を持って)に、右は良子に似ているからとお土産に頂きました。
こちらは、右上がパソコンのマウス、右下は電話の受話器。


実用品もいろいろ。

右はトイレ掃除ブラシ。
イタリア家具屋さんで買った、50センチ位ある板製の大きなまな板のようなもの。正確には何に使うか分かりません。上に穴があって壁にかけられます。下は、子供用のリュックサック。お菓子が入っていました。
左下の花瓶の絵は、登志夫がどこかの楽焼きで酔っぱらいカエルを描いたもの。
上はお風呂の栓、中は中国の急須、下は鉛筆削り。
体の部分も臘製のろうそく、15センチ位あり存在感があります。美しいフォルムで透明感があり、もったいなくて絶対に使えません。娘の海外からのお土産です。
娘のアメリカ人の友達、Rickがアメリカから持ってきてくれた重い銅製のキャンドルスタンドです。思わずご苦労様とありがとうでした。
これもその時一緒にいただいたアメリカ製の蓋つき薬入れです。光線の具合で色が違って見えますが、同一のものです。3センチ位のものです。
カナダのバンクーバーの博物館でのかえる展覧会のグッズ、30センチ× 20センチ位。
水差し。水を入れると重くて、ちょっと実用にはなりません。
都営地下鉄大江戸線の森下駅改札口付近のタイル。近所に芭蕉庵があり、「古池や蛙飛び込む水の音」にちなんでの、カエルのタイルがいくつか敷かれています。最晩年、登志夫が病気治療のために森下駅の近くに越してきて、このタイルを見たとき、何やらカエルの縁を感じました。


娘の家にある風鈴と蛙たち
登志夫の思い出に

登志夫が亡くなってから、お香のお友達がくださった、良質の皮の手のひらサイズの小さなバック。気にいって、キーホルダーの代わりにしていつも持って歩いています。私はもともとカエル好きではなかったのですが、今でも時々いただきます。登志夫のよすがとしてありがたく思っています。
歯ブラシ立てと石鹸受け
長年お風呂の隅に置いて使っていました。
信楽焼きは日本の代表的なカエルなので、お土産にたくさんいただきました。

まず今日はこれぎり。。。         (良)

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)