カエルの家③ちょっといいカエル/戸板康二、折口信夫


戸板康二さんは昭和14年から繁俊、登志夫親子2代にわたって、親交のあった方です。次の文章は、繁俊が亡くなった時に戸板さんが寄せてくださった追悼文です。
「演劇学」第9号/河竹繁俊博士追悼号(早稲田大学演劇学会刊)/昭和43(1968)年に掲載された「ある夜の先生」。
(中略)
下はその時の写真です。
「昭和27年4月8日 アルス打合せ会 右から村山、登志夫、戸板、北原、河竹、野口(達二)」と
写真の裏に繁俊の字で書かれています。一番左の方は不明です。 
下のカエルは戸板さんのパリ土産の灰皿です。
長さは14センチです。
時が移り平成5(1993)年に戸板さんが亡くなり、葬儀で登志夫が弔辞を読ませていただくことになってしまいました。下の追悼文には、さりげない気遣いと高い教養に尊敬と親しみを持って、戸板さんは人生の達人だったと書いています。(「銀座百点 第461号」)
その中にこのパリ土産の水辺の美女のことも書いています。登志夫のお気に入りのカエルでした。
上の文章にある折口信夫さんの蛙の箱がこちらです。
15cm ×10 cm× 5cmの大きさです。
昭和63(1988 )年9月にいただいた葉書と、箱の中に入っていたメモです。郵送は怖いのでと、わざわざどこかで落ち合って手渡ししてくださったのです。
今回この素晴らしい箱をつくづく見て、調べてみますと、「張り細工」といってストロー状の麦わらを割いて平たく伸ばし、桐箱に貼り付けて作ったものでした。麦わらの油分により光沢が出てきて、新しいものよりも、100年前に作られたものの方が味があるそうです。修善寺名物の麦わら細工も今では続いているお店が、一軒だけのようでした。
このカエルの箱はすでに83年も経っていて、面構えは鋭いけれど、おおらかな風貌の折口信夫のカエルの絵。戸板さんは「珍貴」(珍しく貴重)な品と書いていますが、世界に1つしかない家の宝物です。

戸板さんは「ちょっといい話」がベストセラーとなり、シリーズで何冊も出されました。下の記事は随筆ちょっといい話。細かいところではちょっと盛ってありますが、ついでに…。

「文藝春秋」 1989年1月号。
日経新聞(1988年6月24日)。
戸板康二さんも折口信夫さんも繁俊も登志夫も亡くなってしまいましたが、カエルたちは思い出のよすがになります。

ここからはアットランダムにお目にかけます。


左手で胸のあたりを挟んで持って、赤い紐を引っ張るとバンザイをします。孫たちにやって見せました。バンザーイバンザーイバンザーイと。
下の2つは晩年理事長を務めた、都民劇場の方々からのお土産です。都民劇場は終戦後すぐ日比谷公会堂で聴いた音楽会に魂を揺すぶられ、若い人々に安い値段で文化に触れる機会をと、作られた観客組織です。このことは改めてお話ししたいと思っています。
'08 長野県小布施の岩松院のカエル 千田純ニさんより。
インド産のカエル、宮本さんより。
これは灰皿です。
上のぼっちを押して日にちを変えるカレンダーです。
信楽焼きの、親子カエルか夫婦か…?
逗子のご近所で、家族ぐるみのお付き合いのあった方からの、蔦温泉のおみやげ。最初にお宅を訪問したときに、まだ幼い子供たちを忘れて帰りかけて「良子さーん、お子さんたちー」と呼びかけてくださった声が楽しい思い出とともに蘇ります。本当にお世話をかけました。

輸入家具の問屋さんで値切って、届け先の名前を書いた時、早稲田の河竹先生ですかと言われて恥ずかしい思いをしました。早稲田出身の方だったのです。早稲田学割と言ってその日から大幅割引をしてくださったので、逗子の家はこのお店の家具だらけになりました。その頃の円高と相まって、日本の家具より安く買えました。飯田さんとは長いお付き合いになり、引っ越しの時などは次の代の若い方が助けに来てくれています。

三女の夫のお母さんの沖縄土産です。彼女は英語が堪能で、70代でも世界中、若い人たちのグループに入って旅行をしてきたりします。三女は仕事が大変な時、子供たちの面倒を見に来てもらい、よく助けてもらいました。孫たちも「洋子ばぁば」が大好きです。
今は1人住まいで、子供たちに干渉する事などはなく、困ったときにはだまって手を貸してくれる素敵な人です。近頃はほとんどお会いしませんが、明るくさっぱりした方で、会えば話が弾みます。
シンガポールのボールペン、使った事はありません。東南アジアはとにかくカエルが身近にいます。

逗子の隣人のエイトケンさん、日本人の奥様が大病院の看護師長さんで、カナダ、トロントでの先生方の学会に一緒にいらした時のお土産だったと思います。帰りにアメリカに寄ってディズニーランドで食事をしているうちに盗難にあったそうです。

ご主人に良子が英会話を習っていたので、ご夫婦で登志夫の誕生日のサプライズパーティーに来ていただいて、一緒に登志夫をびっくりさせたり、楽しい良い隣人でした。暑くて寒くて台風があって蒸して地震がある日本は怖いとイギリスにお二人で帰りました。


帰国してからの贈り物で、イギリスのフォークアーティストのハンドメイドと書いてあります。良質な、手の込んだカエルです。

エイトケンさんの引っ越し先のカンタベリーから。引っ越してすぐは工事の人がなかなか来てくれなくて、水が溢れたりして家の中にテントを張って過ごしている頃の手紙もあります。日本の工事のきちっとしてるのが懐かしそうでした。
登志夫が亡くなったことをあちらで知って、慰めのお手紙もいただきました。ありがたかったです。文通も間遠になり、エイトケンさんは登志夫と同じ位の歳でしたから、どうしていらっしゃるかなぁとなつかしく思っています。
家族の誰かがタイで買ってきたもの。
左は缶、右はふにゃふにゃの手触りでピンと張っているがま口。新しい素材が面白いです。
木製の面白いカエルなのにシールが剥がれて出自が分かりません。
中国の夜店で買ったものだったと思います。わりに大きめです。天安門事件の2、3年前で、道いっぱいの自転車に乗っている人々の群れを思い出します。
1996年シンガポール、家の誰かが旅行で。


やれやれ、、という顔をしている楽しいカエルは1992年に天満宮のお土産に、山川隆古氏からいただいた贈り物です。
                     今日はこれ切り…(良)


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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)