河竹登志夫切抜帳11より②/「歌舞伎は旅する大使館」

「歌舞伎は旅する大使館」。この言葉は、歌舞伎海外公演のことが語られたり、取り上げられたりするとき、必ず出てくるキーワード的なものですが、これは今から55年前、1978(昭和53)年の2月28日に初日を迎えた歌舞伎オーストラリア公演の時に現地の新聞評に書かれたのを登志夫が訳したところから始まっています。

3月11日朝日新聞。公演に文芸顧問として随行した登志夫が、現地から公演の成功を報告しています。

こちらは歌舞伎座の4月のプログラムに、オーストラリア公演の成功報告。

4月24日の朝日新聞に工区、大きく「歌舞伎は旅する大使館」。下には、「'78.3.4 Sydney Morning Herald By Romola Costantino (河竹登志夫・訳)」とあります。

これが、オーストラリア公演の記録を書いた手帳です。
この手帳の後ろのほうに、シドニーモーニングヘラルド紙の評を現地で訳したものがあります。ここの3行目に「歌舞伎は旅する大使館」と訳しています。

これは、海外公演の功績で菊池寛賞を受賞した松竹への祝辞、外部スタッフという立場で書いています。翌年79年12月号の文藝春秋。下が11月9日の授賞式パンフレットに同じ文。

授賞式の一枚。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)