10月の黙阿弥作品は「釣女」。 狂言「釣針」の醜女を演じた良子のこと。
今月の歌舞伎座の黙阿弥作品は第二部の「釣女」と第三部「盲長屋梅加賀鳶」でした。
歌舞伎座前の絵看板「釣女」。
おなじく、「盲長屋梅加賀鳶」。
1999年、黙阿弥の舞踊劇として松竹歌舞伎のプログラムに登志夫が解説を書いています。
“「釣女」は、能狂言の「釣針」と言う作品を、筋はそっくりそのまま常磐津の踊りに仕立てたもの”で、“明治34年に東京座で、初代市川猿之助ほかによって歌舞伎舞踊として初演されてから、人気作となりました。”
黙阿弥は「釣女」のほかに「土蜘」「釣狐」「茨木」「船弁慶」など、松羽目物ブームを作り出しました。白浪物はじめ多くの名作を残した大作者ですが、三味線や踊りが下手だったせいか、舞踊劇は不得意だったと言われています。が、今も人気の高い松羽目物という大きなジャンルを確立しただけでも、功績は十分といって良いのではないでしょうか。
お笑いぐさですが、今から約60年も昔、良子が狂言「釣針」の醜女を演じたことがあります。共立女子大の文化祭で、狂言をすることになりましたが、人数が足りず、狂言研究会の会員ではなかったのですが、ピンチヒッターに駆り出されました。舞台に出るのは苦手だったので、面をつけるのならばと言う条件で出ました。ですから演じるどころではありません。セリフは「もうし、もうし」だけ。写真は、共立講堂の舞台です。
まだ30代の野村万作さん、大学生の吾郎さん、早稲田を通り抜けて自宅があるというご縁で、早大狂言研究会にいらした小川さんのおじさん。その他は女子大の面々。2列目真ん中が良子
醜女が太郎冠者に抱きついた後、ふりほどかれてバタンと舞台に倒れた時、着物の裾がだいぶめくれあがつてしまいました。恥ずかしくて慌てて着物の裾を直したので、観客が大爆笑になりました。
後はもう恥ずかしくて恥ずかしくて、舞台裏に入って、大きな声で「もうし、もうし」と叫び続けなければいけなかったのですが、ひと声も出ず、万作先生に叱られました。
この時はこの演目に関係のある黙阿弥の家に嫁ぐなどとは思いもかけず、登志夫に会うのは次の年。これまたピンチヒッターの「猿婿」で、猿の面を取った時でした。
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