切抜帳10より③(1976-1977)/歌舞伎公演プログラム

「切抜帳10」は、本業の他に、随筆や料理関係がずいぶん多くありましたが、こちらは歌舞伎公演のプログラムへの寄稿です。


こちらは、1976年3月、国立劇場で開催された芸団協の公演プログラム。芸団協のHPによると、この年の5月に中村歌右衛門さんが会長に就任されており、これはそれよりも2か月前の公演ですが、末尾に「会長の歌右衛門自らの出演に、」とあるので、就任が決まってから、先代海老蔵(團十郎)の忠信で、文楽と一緒に「義経千本桜」の吉野山を踊ったのでしょう。

こちらは5月の歌舞伎座公演。この月は、昼の部が黙阿弥、夜の部が南北の作品を並べた狂言立てになっています。


こちらは6月神戸文化ホールで、近畿地区公立文化施設協議会主催の高校生のための歌舞伎教室プロブラム。歌舞伎の楽しみ方についての助言です。これは、いまも国立劇場の鑑賞教室のときには無料で配布される「歌舞伎・その美と歴史」からの引用です。


こちらは7月松竹地方公演に「口上幕のたのしさ」。「口上」は歌舞伎座では襲名や追善のときしか見られませんが、地方公演ではついていることが多いです。歌舞伎座の襲名公演になると、20人くらいがずらりと並び、チケットも口上の一幕がある方の部が売れるようです。「口上」の魅力について書いています。


こちらは1977年6月、今はない名古屋中日劇場公演で吉例豪華特別公演と銘打って、「四谷怪談」の通しです。歌右衛門のお岩・小平・お花の三役に、海老蔵の伊右衛門。豪華です。ここに書いている、お岩の悶死後、猫がやってくる場は今はやらないかと思います。大きめの鼠が赤ん坊を連れていく、ということになっているような…。

「彼(伊右衛門)に罪の意識がないのは、てんから人間を信じも愛しもしていないからである。親子も夫婦も主従も互いに疑心暗鬼なのだ。連帯感というもののない、天涯孤独な人物たちー南北の書く人間はみなそうである。健全な生活意志もむろんない。あるものはただ、「生への執着」の強さだけだといっていいだろう。自分ひとりの肉体と感覚だけを信じて、刹那ごとに反応していく生のエネルギー。こうした人間の極限的なものを鋭くとらえ、泥絵具のような色彩とタッチで生々しく描いたところに、現代に通じる南北の普遍性があるといえよう」。


7月の歌舞伎座、「若いトリオへの期待」。このトリオとは、先代猿之助(猿翁)、孝夫(仁左衛門)、玉三郎のこと。「つい最近手許に届いたある通信の、最新の歌舞伎俳優人気投票の結果では、玉三郎、孝夫の両氏の順位はいずれも、前年度にくらべて急上昇し、五指の中にランクされているそうだ」とありますが、今もそんな人気投票があったら面白いですね。この三人の魅力に加え、二代目鴈治郎の味わい深さについても。歌舞伎座からは、顔合わせの魅力について注文だったのですね。


おなじく7月の松竹大歌舞伎に「歌舞伎巡演の意義」。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)