切抜帳9より②(1974-1976)/食べ物、包丁関係
雑誌「魚菜」1974年10月号「趣味としての包丁人」。懐かしい逗子の台所、よく見た光景が写っています。こんな時は子供たちは台所の隣りの和室で、刺身などをとりわけて食べました。食卓からは大人たちの笑い声が絶えまなく聞こえました。いつもお客さんや取材の人が帰るのはずいぶん遅かったので、子供たちはベッドの中でその笑い声を聞いたものでした。
この料理雑誌、表紙はこんな感じです。普通は切抜だけで本体は残っていないのですが、これは娘の友人が、実家の大片付けでたまたま見つけたと言って送ってきてくれたものです。CMでも雑誌でも、まだ白人がモデルのことが多かった時代です。
こちらは「栄養と料理」1975年10月号「秋ナスの味」。上の台所の写真でも分りますが、良子は真っ黒になって庭の草刈りや畑仕事をしました。まだ日焼け止めを塗るという今の常識は全然ない時代でした。育てたナスが初めて収穫された日、京都から淡交社の編集長さんが見え、それを焼ナスにしてお出しして、その反応を見ようと家族が取り囲んだという笑える思い出が良子にはあります。プロではないので、熟さなかったり、ちいさかったり、色々な野菜がありましたが、香りや味は懐かしいものです。とくに夏は、水まきや収穫で、登志夫が蚊に喰われながら汗だくで庭にいる姿も思い出されます。
同じ年の10月6日日経新聞「包丁といで憂さを切る」。
同じ年「週刊文春」10月30日号「男にできる手造りオツマミ傑作30選」。冒頭の文章、当時も一応、男女差別的CM「ボク食べる人、ワタシ作る人」についての物議はあったのですね。ここでは梅干しと本わさびを混ぜて、できたらすぐ食べるというツマミを紹介しています。
1976年4月4日毎日新聞「河竹登志夫の包丁術」。この記事でもまた「食べる人、作る人」問題について触れています。登志夫は男が「ただ食べる人」でいるべきではない、こんな男もいる、という立場で出されたのか、または女に「作る人」だってこんなに楽しいじゃないか、という例として出されたのか…。登志夫としては、求めに応じていただけで、基本的にはうちでは「家事はしない人」でした。
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