切抜帳8より②登志夫、参考人になる
前回の、サンケイ新聞の連載のうち2回目の「尊属殺人の重罰是非」。これがきっかけで登志夫にはちょっと変わった経験をすることになりました。以下、「かぶき曼陀羅」(単行本/演劇界に連載したもの)の「『夏祭』の思いがけない効用」より引用です。
「ところで、この芝居(夏祭浪花鑑)のおかげで、まったく思いもよらぬ体験をしたことがある。およそ政治や財界に無縁の私が、なんと国会議事堂の赤絨毯を踏む羽目になったのだ。衆議院法務委員会の『刑法改正に関する小委員会』という、しかつめらしい会議の参考人としてである。
その直前ー昭和四十八(1973)年6月9日付産経新聞に連載中の『直言』欄で書いた『尊属殺人の重罰是非』なる小文が、議員先生方のお目にとまったものらしい。当時この重罰規定を削除すべしという案が、親孝行の美徳がすたれるからとの保守系政党の反対で、国会提出を危ぶまれていたので、『夏祭』にからめて書いてみたにすぎなかった。その趣旨はー
団七九郎兵衛の義平次殺しは親殺しに違いないが、だれも団七を同情はしても非難はすまい。義平次は性悪強欲な因業おやじで、団七はさんざん罵られて踏んだり蹴ったりされた挙句、たしなめるつもりが手もと狂って、うやむなく殺害に追い込まれたにすぎないからだ。
世の中には親を親とも思わない子もあるが、子を子と思わない親も多い。孝行はむろん美徳だが、それは自然に発露すべきもの。重刑がこわくてするような情けない孝行ならしないがましだ。だいたい尊属卑属の別がおかしい。この規定は裏返せば、自分の親は大事だが、人の尊属や他人は殺しても罪が軽いという、おそるべき危険思想ではないか。人の生命は血縁関係や民族を問わず、平等に重く、おかすべからざるものであろうー
で、小文の結論は、「尊属殺人を軽くするより、正当防衛以外の一般殺人を尊属なみに平等に重くしたらどうか」であった。
その日の会議には、担当の議員のほかに、弁護士の鍛冶千鶴子さんほか一橋大学の先生二人、計四人の参考人がいた。私を除く三人は法律の専門家で、『刑法二百条の規定が憲法十四条一項に違反するという最高裁の判決は…』といったような、むずかしい論旨が展開された。中身など何も覚えていないが、後で送られてきた議事録をいま読み返すと、そうだったらしい。
私一人が法律知らずで議員の名も顔も知らない芝居人間。産経に書いたようなことをしゃべった。議員からの質問のなかに『先代萩』の政岡を例にあげた人がいて、芝居好きの議員もいたかと、なにやらほっとしたのを覚えている。
参考人が四人とも、この規定は削除すべきだとの結論だった。翌朝の某新聞はかなり大きく取り上げ、親孝行については『いやいや孝行するならしないほうがいい』(河竹氏)と軽くいなされたーと書いた記事もあった。この規定が削除されたのは、それからそう長く経ってからではなかったと思う。」
改めて、こちらが産経新聞の記事。1973年6月9日。
同年7月18日の朝日新聞朝刊の記事。
こちらは同日の毎日新聞。
8月6日付けで衆議院法務委員長から送られた来た議事録。
議事録。登志夫の発言のあるページをご紹介。議事録なので、登志夫のしゃべっているのが聞こえてくるようで面白いです。
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